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2008/12/09

奄美は琉球である、大和でもある 1

 二重の疎外を克服するためには、「隠」を解かなければなりません。「隠」を解くということは、二重の疎外の由来からいえば、あの、二重の疎外とその隠蔽を解くということに他なりません。

 二重の疎外の推移を追い、それへの奄美の対し方を追ってきて言えるのは、ここでの奄美の課題は、「日本人」を相対化することだと思えます。

 日本人を相対化するというとき、日本人であることを疑えというのではありません。

 「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外に対して、奄美は「日本人になる」ことをその脱出口として見出してきました。

 あの大正期の奄美の小学校で、教師に「日本人です」と言われて歓喜する様は、当時、「日本人になる」ということが子どもたちにまで渇望になっていたことを教えます。そこで、大正生まれの大山麟五郎には、「奄美人は大和人ではないが日本人である」という素朴な実感がありました。ここでいう、「大和人ではない」は二重の疎外からもたらされたものではなく、それ以前からあった島人の自任感覚としてあったものです。

 しかしこの素朴な自任の感覚は、復帰運動のなか、「奄美人は大和人である」という主張に代わってゆきます。ここで、奄美の自任は、「奄美人は大和人ではないが日本人である」から、「奄美人は大和人であり日本人である」と横滑りしてしまったのです。ここには明らかな作為があり、自己欺瞞があります。そして時を置かずに、「奄美人は琉球人ではない」という主張を生むに至りました。大山が「奄美人は大和人ではない」というとき、「奄美人は琉球人である」という認識がその下敷きにはありました。もちろん、「奄美人」も「琉球人」も、日常的な自任の言葉ではなく、大島の大山にとっては、「島人(しまっちゅ)」のはずですが、それが琉球人のなかにあるという認識もありました。そうだから、「奄美人は琉球人ではない」という主張は自己否定なしにはなされなかったのです。

 「奄美人は大和人であり、琉球人ではない日本人である」という自任をしてしまったために、「日本人になる」という脱出は、自己否定を含むものになってしまいました。ぼくたちはこの自己否定を、自己肯定へと置き直さなければなりません。

 しかもこの間、復帰が「日本人になる」ためのテーマと化したために、「日の丸」は無垢のまま温存されました。日本にとって敗戦は、「日の丸」を無垢なものとは見れなくなる。そういう事態だったのですが、奄美は「食べるもの、着るもの」を求め、自失してでも日本人になる方へ雪崩れ込んだため、「日の丸」は「古だんすの底にしまい」こまれたままになったのです。復帰のとき、奄美が振った「日の丸」の旗は、あれは敗戦を通過していない、戦前の「日の丸」です。しかし、奄美も「日の丸」は無垢ではない。そういう事態を受け入れるべきでしょう。そういうより、奄美こそは「日の丸」は無垢ではないといち早く知ることができたのです。「日の丸」が無垢ではなくなったひとつの理由は、日本が他国を植民地化し、ひどいことをしたことも露わになり出直すより仕方ないと感じられたからですが、奄美は日本の帝国的な植民地主義の前に、植民地を経験していたからです。本当なら奄美の植民地経験はもっと生かされてしかるべきことでした。ほんとうは奄美こそ、「日の丸」が植民地主義に走ったとき、それが無垢ではなくなるのを知っていたのです。


「奄美自立論」 41-1

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