生と死がつながっている
「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」で南海日日新聞の記事が紹介されている。
祖先と再会する場として洗骨儀礼が今も残る与論は「魂の島」とも呼ばれ、自宅で死を迎える人の割合が多い。
一九八六年から与論島で調査研究している近藤氏は、在宅死の多い背景に「与論神道」による祖先崇拝の強い信仰があり、島の生活では死後の社会と現代社会がつながっていることなどを指摘した。
与論の死生観でもっとも大切なことは生と死がつながっていることだと思う。風葬や樹上葬として他界が時間概念であったものから、空間概念として海岸近い砂浜に墓地として場所を持ち、墓地の形態も農耕社会のものへ移行しているが、その変遷のなかで、洗骨によって守ろうとしているのは、生が死によって断絶を受けずつながっている感覚なのだと思う。
昨年、祖父の洗骨(ちゅらくなし)をしたとき(「再会と別れと-21世紀の洗骨」)、与論の民俗研究家の方に、頭を抱いてみるといいと言われ、そうしてみたが、何かあたたかな気持ちになるのが分かった。それは参加した親族に共通した気持ちだったと思う。印象的だったのは、祖父の子どもたちだけでなく、若い孫たちも同じ気持ちになっていたことだった。
洗骨(ちゅらくなし)の途中、祖父の三十年以上の前に他界してい祖母の遺骨も取り出し、それまで祖父の遺骨には触れていなかった成人を過ぎたばかりの孫娘が祖母を拭いてあげていた、その仕草は愛おしそうだった。彼女もまた、会ったこともない祖母に触れることで、生と死が身近にあることを体感したに違いないと思えた。
ただ、この事象を、「島独特の『与論神道』」などという形で独自化するのには違和感がある。まして、「祖先を敬い大切にする考えは隣接した沖縄よりも鹿児島に近いのかもしれない」と整理するのは、与論の墓地は日本式であるからここは大和であると解するのにも似て、歴史を浅く掬っていると思える。「死者は守り神となると考える島独特の『与論神道』の存在」などと言われると、島人はびっくりするのではないか。
むしろ、生と死がつながっているという死生観は、遠く縄文的なものであることに着目して普遍的なものであるという視点がほしい。そうすれば、奄美から沖縄に少し前まで身近にあった感覚だということが了解されてくる。
島人は自分たちが持っているものの価値に気づきにくい。生活が先である。葬儀形態も火葬場ができた途端に、8割から9割が火葬を選択するようになった。しかしそれは「生と死がつながっているという死生観」を捨てたっということでは必ずしもなく、土葬から改葬にいたる儀礼の習俗が、社会の時間の速度に合わなくなっているだけだ。願わくば、儀礼の強制力を少しほどいて、本人と親族がそうしたい場合は、改葬できるという選択肢が残ってほしい。「わぬんちゃあ焼くのぉやぁ(私を焼くなよ)」と言っていた、もうひとりのわたしの祖母は、長生きしたばっかりに火葬になってしまった。できれば、彼女も改葬してあげたかった。
いま、「生と死がつながっているという死生観」は、在宅死という形で辛うじて残っている。誰が言ったか「魂の島」は、それを詩にした方がいたからだと思うが、その人、古川医師は在宅医療を行っている。言い換えれば、彼の在宅医療があればこそ、在宅死の余地も大きくなっている。そして、古川医師も出身は島外の方だ。
与論はあまり形にこだわらない。風葬は不潔だから土葬にしろと言われれば、嫌々ながら土葬にする。日本式の墓がくればそれにあわせる。火葬場ができれば火葬する。病院ができれば喜んで行く。在宅医療してくれる医師がいれば喜んで依頼する。形はどんな風にでも変わる。けれど、形の変化をこうむりながら、連綿とするものを見続けていきたい。そこに魂(まぶい)はあるだろうから。
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コメント
喜山さま、先日はありがとうございました。お話ができて大変よかったです。また、今回は与論島の生死観についてご体験を踏まえて書いてくださり、感謝いたします。
投稿: 松島泰勝 | 2008/12/15 12:25
松島さん
こちらこそありがとうございました。
こんどゆっくりお話できたらと思います。
投稿: 喜山 | 2008/12/15 21:49
2009年06月24日(水)13:12近藤功行(記)◆与論島の人々の意識は、洗骨や風葬時代のそれを維持しているところにあると考えます。近藤は火葬場建設の直前の状況を島の人々から聞き取りをすることで与論島の現状を分析してみました。意識の上では、火葬場が出来ても、墓地埋葬法等の法律によって土葬にするか火葬にするかは人々によってその葬法の選択ができますが、近代化施設(近代の大きな設備)ができたことで、また公立で維持してゆくこともあり、変化はおこることにつながります。ただ、当時、火葬場ができたのですが、依然、土葬意識が強い現状にあったことが記憶によみがえります。洗骨から近代的な葬法に変わる形態を重視しても、洗骨や土葬を求めるという人々の意識が作用し続けていることがわかりました。◆この時期、87人の人に聞き取り調査をして、そのうち、68人が洗骨を望んでいました。実際は火葬を選んだのだが、実は亡くなる前は洗骨を行うと言っていた家もありました。そこには、与論島の人々の強い洗骨への意識がみられました。◆与論島の人々にとって、骨が如何に大事であるかということがわかりました。洗骨から火葬になってきた現在、洗骨的意識を重視視していることがポイントであると考えます。つまり、洗骨は人々の意識のなかに生き続けているわけです(なくなってしまっても)。◆家と結びついている宗教観念が現在も強く機能し続けていることが改めて、分かったのが、この時期の聞き取り調査でした。
投稿: 近藤功行 | 2009/06/24 13:24
追加情報
近藤功行・小松和彦(編著):『死の儀法』、ミネルヴァ書房、2008年3月刊 を検索してください。与論島関連内容をまとめています。
投稿: 近藤功行 | 2009/06/24 13:29
近藤さま
コメントありがとうございます。洗骨的意識の強さ。ぼくも実感的にわかります。これがどう続き、どんな変容をこうむってゆくのか、切実な関心です。
『死の儀法』、読んでみたいと思います。
投稿: 喜山 | 2009/06/25 09:57
2009年06月30日(火)13:15記 ■近藤功行(こんどうのりゆき)です。ミネルヴァ書房から出ている『死の儀法』は与論町立図書館でも購入していただきたいのですが、1冊6300円と高めのため、申し出にくい内容です。ただ、出版あと、公立の図書館で購入して下さっている歴もあるため、学術書として悪くはないと考えます。まあ、自分の出した書籍を悪く言ったらはじまりませんが、内容はインターネットでご検索ください。■さきほど、NHK鹿児島の記者の方から取材を受けました。与論島の死生観に関しての内容でしたが、与論島で大事なことは近代化の産物が与論にもいっぱい入ってきている、しかし、与論島の人たちはそれをたくみに利用しつつも、自分達の死生観は維持・保持しているのだと説明しました。■例えば、日本マルコ(株)が入ってくることで、島の雇用が守られることは当たり前のことだが、こういう会社だってリサーチは徹底的に行うはず。与論島に入って、将来ほんとうに大丈夫なのか。その時、若者(青壮年層)の働き手の確保で困らないかといった問題も大事になるはず。それをクリアしての日本マルコ(株)与論事業所開設だったわけですが、在宅死亡の内容だって、この近代化の産物と密接に関わるわけですよね。つまり、死生観は医療と密に結びつくのは当たり前なわけですが、こういった1つの企業にしても、与論島の死生観を支える役割を果たしていると考えます。■若い人たちは、島に戻りたい。そして、オバアやオジイを看たい。あるいは、両親を。この支えが、若い人たちの意識に強くあり、島がそういった若い人たちを養えることが大事。与論島の在宅死を支えるなかで、島外の企業が与論島に入ってきて、こういった近代化の産物が島ではまた在宅死を支える1つとして昨日していると近藤功行は考えています。■「祖先を大切にしているのか?」「大切にすることでよろこびを(島の人は)感じるのか?」といった質問に対しては、先祖とは「カミさま」のことでもあり、人々は常に先祖(カミ)を大事にしていることになると考えます。デークの神様を祭っていたり、鍛冶屋の神様を祭っていたり、こちらは後者の内容で、玄岡勇吉さん(勇吉ウジャ)の顔がよみがえります。与論島の人は、いろいろなものを大事に今まで継承してきています。そこが、またすごい。■また、後便を書きます。今日は、ここまでにします!!
投稿: 近藤功行 | 2009/06/30 13:26