« アマミノクロウサギにチャンスを | トップページ | 「奄美復帰55周年 『琉球弧』連携強化の契機に」 »

2008/12/26

シマ/島が主役!奄美です

 奄美づくりの基底になるのは、シマ/島です。

 奄美の島々は、シマ/島が世界であり宇宙であるという原型的な世界認識を持っています。だから、「奄美」という抽象は育ちにくい。強いて言うなら、シマ/島以上の抽象を許さない地域が「奄美」です。広告コピーのようにすれば、

 シマ/島が主役!奄美です。

 となるでしょうか。

 シマ/島が豊穣な世界を持っているから、薩摩の直接支配のなか、大型船の製造を禁じられ島に封じ込められて海洋交通がままならなくなっても、琉球弧の文化を失うことはありませんでした。また、シマ/島が基底にあるから、「奄美」という政治的共同性を構築する必然性が無かったのです。

 奄美は、国家をつくる必然性のない固有性を生きました。

 二〇〇三年、与論の八六%の島人が沖永良部との町村合併に反対しました。いつもは自己主張などどこかに置き忘れたような与論の島人が、このときばかりは交流も深く親和感もある沖永良部との合併を拒否したのです。この出来事は、それだけシマ/島は世界であり宇宙であるという世界観の強固さを示していました。合併拒否は、与論(ゆんぬ)が与論(ゆんぬ)ではなくなるということが島人に直観されたことの素直な表明であり、この点においては、与論もいかにも〝奄美〟なのでした。

 そうであるなら、シマ/島以上の飛躍をせずにきた〝非国家地帯″が二重の疎外を克服するには、それぞれのシマ/島が自身を語る主体を自立させることが必要です。

 ぼくたちは二重の疎外とその隠蔽を強いられても、国家であろうとはせず、国家を持たないという美質を突っ張って守ってきました。奄美は、どこまでもそれぞれのシマ/島が主役であることを失う必要はありません。むしろ、自立島嶼帯として、シマ/島の意思を第一にして、持ち寄り、必要があれば奄美としてまとまればいいと思えます。

 シマ/島の意思を第一にしないと、「奄美は奄美である」という自己紹介は成立しません。「ふしぎなことにはその島に住んでいる人さえが自分たちの住んでいる島の名前が、加計呂麻だと知らないと思えるふしがある」(「加計呂麻島」)と、一九五五年に島尾敏雄は書きますが、ぼくも島を出るまで知らなかったという加計呂麻島出身者の話を聞いたことがあります。また島尾は、一九五九年に、「沖永良部島や与論島で、自分の島が奄美と呼ばれていることを知ったのは、やっと昭和にはいってからだ」(「南島について思うこと」)という伝聞を記すのですが、現在、「奄美」は知っていても、両島の島人はそれを自分たちのこととは思わず、第一には奄美大島を想起します。自分の出自の島の名をしばらく前まで知らないということがあり、また今も「奄美」という名称が島々全体を指すという共通認識がないとき、「奄美は奄美である」という命題は、主語の「奄美は」に各島が参画したとしても、述語の「奄美である」のところでは、奄美大島とその近傍を指すに止まるしかありません。「奄美は奄美である」という命題は、復帰歎願のときに奄美の島々を「奄美大島」と呼称したように、また今も行政区を「大島郡」と言うように、「奄美である」と言い切った途端、南北二〇〇キロに伸びる巨大な奄美大島と化し、その他の島々は、鋳型に収まらない液体金属のように外にはじき出されてしまうでしょう。シマ/島の意思を第一に置かなければ、「奄美」というまとまりを生んだとしても、大島という中心とその他の島々という周縁をあからさまに再生産してしまうしかありません。

 ぼくたちは、それぞれが開かれたシマ/島として、琉球と大和の交流拠点の度合いを自覚しながら、それぞれの意思を持ち寄り、交換するのが基本であり第一歩です。そして、奄美のシマ/島ひとつひとつの意思はそれぞれが対等であることを踏まえれば、そこで道之島としてのつながりを生かしながら、まとまりとしての奄美を選択肢にすることができます。あの、三方法運動で、奄美全島の「総代」が集まり連帯を生んだように。


「奄美自立論」51

|

« アマミノクロウサギにチャンスを | トップページ | 「奄美復帰55周年 『琉球弧』連携強化の契機に」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/43535337

この記事へのトラックバック一覧です: シマ/島が主役!奄美です:

« アマミノクロウサギにチャンスを | トップページ | 「奄美復帰55周年 『琉球弧』連携強化の契機に」 »