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2008/12/16

薩摩とは何か 2

 薩摩の思想は、奄美の直接支配をどう認識しているのでしょうか。ぼくは、それを植民地支配であると考え、そう受け止めたときに衝撃を受けたのですが、それはそういう声を聞いたことがなかったからということにも由来しています。それでは、薩摩の思想は認識していないのでしょうか。どうもそうではないと思えます。

 私事で恐縮ですが、私は九州、鹿児島の生まれで鹿児島(薩摩)で育った人間です。江戸時代、まだ日本が近代社会になる前、カギカッコですが、薩摩は「琉球」という植民地を持っていました。土地は貧しいところでありながら、七七万石という石高を誇ったのは、琉球や奄美大島という島々を持って、そこで過酷な政策を遂行した結果です。そういうところで育ちますと、私が生まれた一九三五年からの十年ぐらいの記憶でも、薩摩は琉球や奄美に対する差別感情をまだ持っておりました。私たちは意識としては、植民地を支配する側に立っていたわけですが、クラスの中にはそういうところから来た子がいる。優越感と同時に、こんなに酷いものかということも感じます。そういう意味で、植民地や植民地政策がいかなるものか、普通の日本人よりは少しだけ理解が早かったかもしれません。 
(中馬清福「歴史認識とジャーナリズムの責任―アジア的困難をどう克服するか」)

 これは、上智大学で二〇〇六年に行われた講演のなかでの発言ですが、中馬は確かに、奄美を植民地と認識しています。厳密にいえば、中馬は琉球全体を指してそう言っているのであり、奄美に限定して言っているわけではありません。ぼくは、どこか問題の所在をあいまいにされている気もしますが、植民地という認識があるのを確認することができます。どうしてことさらのように言うかといえば、ぼくがかの地にいたとき、知識人からも政治的共同体の担い手からも、つまり薩摩の思想の言葉として、奄美は植民地だったという認識を聞いたことは皆無だったからです。中馬の発言を読み、なんだ知ってたんじゃないかと思ってしまいます。中馬は「植民地や植民地政策がいかなるものか、普通の日本人よりは少しだけ理解が早かったかもしれません」と言うのですが、であればやはり、奄美が薩摩に提供した植民地経験を日本は近代化を推し進めるなかで、生かし損ねたのです。

 政治的共同体としての薩摩は、奄美に対して、どこまで触れることができているでしょうか。そう思うなか、ぼくは、『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』で薩摩の政治家、山中貞則の発言を読み、これまた心底、驚きました。

 すでに四百年も昔の歴史であるとはいえ、過ちは過ちである。政治家として、また島津の血をひく鹿児島の人間として、知らぬ顔で過ごすことはできない。そういう気持ちが強かったから半世紀前、衆議院議員として国会に登院して以来、沖縄の人たちに琉球侵攻を心からお詫びし、政治家として罪を償わなければならないと考えてきたのである。
 ぼくは、薩摩の思想が琉球侵略について「謝罪」を口にするなど、ほとんど不可能かあるいは、まだ相当の時間を要すると考えてきました。ですから、山中の発言には自分の目を疑うほど驚かずにはいられませんでした。山中は薩摩の政治家として沖縄に謝罪しています。歴史はここまで進んだのかという感慨が過ります。

 しかし、これは薩摩が沖縄に向けた言葉であり、奄美に向けた言葉ではありません。薩摩が奄美に行ったことは、沖縄への言葉で以下同文とすることはできないものです。では、山中は奄美に対してどう言葉を送ったのでしょうか。寡聞にしてぼくは知りません。しかし、それは重要なことです。薩摩が奄美に対して、薩摩が奄美に何をしたのかを語るときが、奄美と薩摩の対話の通路が開け、歴史を次に進めるときであるのは言うまでもありません。


「奄美自立論」44-2

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