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2008/12/25

アマミノクロウサギにチャンスを

 「アマシンと縁を切りましょう」(稲野慎『揺れる奄美、その光と陰』二〇〇八年)と奄美の内部から声を挙げている薗博明は、奄美の天然自然破壊としての奄振に反対した住民運動の系譜を追っています。

 薗によれば、その嚆矢は、与論島の百合ヶ浜港建設問題でした。一九八六(昭和六一)年、「百合ヶ浜に漁船やグラスボート、遊漁船の船だまりを五カ年計画で建設する」ものでしたが、島人は「百合ヶ浜の自然を守る会」を結成、反対運動を展開して、一九九〇(平成二)年、町は計画を撤回しています。薗は、「奄振事業の問題点を明らかにし撤回させた最初のとりくみ」(『奄美戦後史』二〇〇五年)と評価しています。百合ヶ浜とは、イノー(礁湖)内に、潮が引いたときにだけ浮かび上がる砂の島を指して、そう呼んでいます。隆起珊瑚礁からなり、かろうじて浮かび上がったような島影の与論島にとって、百合ヶ浜はいわば与論の中の与論であり、島の象徴的な存在です。それが無くなるかもしれない選択を島人の手で却下できたのは貴重な経験でした。

 薗が挙げている住民運動の多くは、志ある島人の献身的な活動に依るわけですが、そんななかでひときわ目を引くのが、一九九五(平成七)年に県の知事を相手に起こした奄美「自然の権利」訴訟です。

 なんとこのときの原告は、「アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケス」だったのです。原告団はアマミヤマシギを代弁して「私たちは人間のじゃまをしません。ですから私たちを殺さないでください」と主張します。この前代未聞の訴訟は、二〇〇二(平成一四)年に判決が言い渡され、「原告らに原告適格を認めることはできない」という理由で却下される。しかし原告団は自分たちの主張が相当反映されたとして上告しない。

 薗が挙げている判決の一部を挙げよう。

原告らの指摘した『自然の権利』という観念は、ひと(自然人)及び法人の個人的利益の救済を念頭に置いた従来の現行法の枠組みのままで今後もよいのかどうかという極めて困難で、かつ、避けては通れない問題を我々に提起したということができる。
 (薗博明「復帰後の奄美の変容」『奄美戦後史』二〇〇五年)

 これをみても、およそ近代法のなんたるかを無視したような訴えに対し、裁判所は真摯に向き合ったことが分かります。

 薗によれば、訴訟のきっかけは長老のため息まじりのつぶやきでした。

「カシガレィ イゥンクトウ キカンパ トウリニディン ウッタエラソヤ(こんなにまで言う事を聞かないなら鳥にでも訴えさせようか」と。みんな思わず笑ったが、長老の発言は単なるジョークではなかった。(同前掲)

 薗はこれを「先人たちの自然観に根ざした奥の深い発言」と書くが、ぼくもそう思う。この訴訟は、奄美の良さを生かしたきわめて奄美的なものです。この訴訟は、原告をアマミノクロウサギら動物に設定しますが、この設定のなかには、人間は動物と等価な存在であるという映画『ウンタマギルー』の「チルダイ」に通じる世界観が盛り込まれています。そして、「鳥に訴えさせよう」という発想には、人間の都合で動物を解釈するというより、動物と対話ができたことが島人の身体の記憶に宿っていることを伝えているように思えます。ぼくたちはここで、「クッカル」と叫んだ老家人(やんちゅ)のことを思い出してよいはずです。この身体の記憶とそれを保存する力こそは、奄美を奄美たらしめてきたものだと思えます。それが発現されたことがこの訴訟の魅力ではないでしょうか。この訴訟は、奄美の力を明示した画期をなして、ぼくたちを励ましてくれます。

 この奄美の力は、奄美づくりを底から支えているものです。


「奄美自立論」50

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