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2008/12/10

奄美は琉球である、大和でもある 2

 それは、シマ/島を掘るということ、シマ/島の時間と空間を掘り下げてゆくことです。幸いぼくたちは、シマ/島を失わずに済んできました。シマ/島を掘り下げようとしても、シマ/島はそれに応えるだけの豊かさを失っていないはずです。シマ/島を掘るということは、「奄美は大和であり、琉球ではない日本である」という自己欺瞞的な自任を溶解させ、「奄美は琉球である」ことを取り戻させてくれるはずです。

 実はこのことは、二重の疎外を解除するうえでも、重心をなす自己規定です。

 二重の疎外で、

 奄美は琉球ではない、大和でもない。

 と規定されました。これを解除するには、

 奄美は琉球である、大和でもある。

 と自己規定する必要があります。なぜなら、ぼくたちは、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を受け流してきたわけではない。それどころか大いに影響を受けてしまい、過剰に「琉球」を否定し過剰に「大和」を肯定することで「日本人」になろうとしてきましたが、これは過剰に行うことでかろうじて自己欺瞞を避けられる作為だから自任に無理が生まれます。それは、「大和」への奇妙な劣等感と「琉球」への自己矛盾的な愛憎として表面化してきました。

 奄美は琉球である。このときの琉球は、必ずしも、沖縄県ではなく、また琉球王国でもありません。むしろ、それ以前に、言葉や文化を共有する基層の文化を指します。

 奄美は大和でもある。もともと、奄美は大和ではないのだから、「奄美は大和でもある」とわざわざ言う必要もないことのようにみえます。しかし、「奄美は大和でもない」という規定を解除する意味で必要だということと、薩摩の琉球侵略以前にも、南下した大和朝廷勢力は、琉球の歴史に衝撃と影響を与え、「大和」の要素が明らかに流入しているのを認めることができます。それに、侵略以降に、文字通り、「大和」との交流は深まりました。ぼくたちはそれらの要素を否定する必要はないし、否定すればまた別の欺瞞を生んでしまうでしょう。

 だから、「奄美は琉球である、大和でもある」と二重肯定するのです。しかも、二重の疎外は、誰に知られることもなく隠蔽されてきました。ぼくたちはこの隠蔽をこそ解除しなければなりません。隠蔽の解除に必要なのは、薩摩の思想、共同意思と沖縄との対話です。 

 人は、なぜ四百年も前のことが問題になるのか、と問うでしょうか。あるいは、絶対的貧困から脱して以降の奄美の世代は、同じように問うかもしれません。

 しかし四百年前のことを問うのは、それが過ぎてゆかないからです。二重の疎外は、四世紀前のことではなく、現在のことです。モノの収奪は、奄美が絶対的貧困を脱し、相対的な「格差」を課題にするまでには解決してきました。ある意味ではモノの収奪は、モノが獲得できれば解決します。しかし、コトの収奪は見出され解除されなければ不可視のまま存続します。それは終わっていないのです。ぼくたちは二重の疎外を問わずにやり過ごすこともできるかもしれません。けれどそれでは、薩摩の共同意思は自分たちが何をしたのか、その認識すら得ることもなく、ただ世代交代により蔑視を自然消滅させ、奄美の島人は失語のまま、のっぺりした日本人となり忘却の民と化すことになりますが、それではあんまりではないでしょうか。二重の疎外は解除し克服したほうがいいと、ぼくは思います。

 ただ、絶対的貧困から脱して以降の奄美の世代が、二重の疎外に躓くことなく生きているなら喜ばしいことで、それは誰も引きとめるべきことではないと思います。ただ、百人に一人、いいえ、千人に一人の関心事かもしれませんが、何かのきっかけで奄美の先人のことを知りたいと思ったとき、ぼくがそう感じたように、そこに言葉が数多く豊かに用意されているのには意味があると信じます。


「奄美自立論」41-2

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