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2008/12/12

奄振とは植民地補償である 2

 奄美は日本復帰とともに、植民地補償の言挙げをすべきでした。しかしそれを当時の奄美に求めるのは酷というものです。

 県は、奄美の荒廃を、自ら生み出したものとしてその責を引き受けるべきでした。それが、日本復帰というどさくさに紛れ、またしても「官の保護を請ふ」論理を発動し、自己直視の機会を逸したのです。本来なら、奄美は薩摩に対して、一六〇九年からの植民地とその後の放置政策に対して補償を求める。薩摩がそれを引き受けるという段階が必要でした。その上で、薩摩自身の疲弊も秀吉や幕府の支配からもたらされたものだとすれば、その理由で国家への補助を求める。それでも薩摩の責がゼロになるわけではないから、国と県が分担する。そういう引き受け方をするのがあるべき道筋ではないでしょうか。

 残念ながらそれは無かった。しかし無かったにしても、こう理解することには意味があると思えます。「奄美群島復興特別措置法」は、その目的を「復帰に伴い、同地域の特殊事情にかんがみ、その急速な復興を図るとともに住民の生活の安定に資するために」としているが、ここにいう「同地域の特殊事情」を米軍統治下の八年間のことと捉えたら、事態を極度に矮小化して理解することになるでしょう。特別措置法制定の過程で、参議院地方行政委員会は、「奄美群島の特殊性と疲弊の現状に鑑み」という前置きを付けていますが、ここにいう「疲弊の現状」は、米軍統治下の八年間程度でもたらされたものではなく、もとをたどれば三世紀半に及ぶ歴史的なものだからこそ深刻なのでした。

 三四五年かけたものを、半世紀余で取り戻すことができるのか。奄振は植民地補償であると捉えれば、ぼくたちは、奄振をそう問うこともできます。これに答えるに、半世紀余で充分であるとも不充分でもあるとも一概には言えませんが、しかしこう問うことによって、奄振が一朝一夕にことを解決できない理由の一端が頷けてくるのではないでしょうか。

 そしてこの視点に立てば、現状もっとも不可解なのは、奄振の窓口に県が立っていることです。奄振は植民地補償であるとするなら、県は補償を行う義務こそあれ、奄振の中身を企画する権利を有していません。向こう側にいるはずの相手がこちら側にいて、しかも自分たちの前に立っているようなものです。奄振は、奄美が企画立案し運営する権利を奪回することがもっとも根源的な課題ではないでしょうか。

 ぼくが分からないのは、二重の疎外を強いられた奄美は、「日本人」になることを唯一の脱出口とみなし、「食べるもの、着るもの」を得るために遮二無二、日本復帰へとなだれ込んだのはよく分かるのですが、でもなぜ、県としての鹿児島は奄美の復帰が「鹿児島県大島郡」となることを受け入れたのかということです。もともと薩摩は過剰な武士団の〝腹〟を満たすために、そのことを隠蔽までして奄美を植民地支配してきました。近代になっても、内省もなくむしろ植民地支配の永続化を図り、その価値に陰りが出てくると、放置をしてきました。薩摩は、政治的共同体としての鹿児島は、奄美とは薩摩の手段であるという行動型を抜け出ることはなく、残念ながら奄美の植民地支配から学んでいません。そうであるなら、薩摩は、自分たちの腹を満たす力を持たなくなった奄美が、鹿児島として復帰することにどうしてうなずいたのでしょうか。「奄美は大和ではない」という規定を強いた薩摩には、奄美は鹿児島であるという認識は希薄なはずです。たとえば、第二次大戦中、若い大山麟五郎は、隣組での自己紹介の際、「鹿児島県のなにがし」と名乗ると、ある年輩の人に「鹿児島県のどこな?」と聞かれ、「大島です」と答えると、「大島は鹿児島でなかでな」とつぶやかれたといいます。ある種の典型を示すみみっちい態度ですが、しかし言われた大山は「手痛くこりた」と傷ついています。そうした認識の薩摩にとって、奄美を県内に置く内在的な根拠はもはや無かったのではないでしょうか。それでも、「鹿児島県大島郡」としての復帰に反対しなかったのはなぜでしょうか。

 こう考えるとき、ことは日米関係のなかで行われている大事であり、口は挟むことができなかったからというのがぼくに考えられる数少ない理由です。しかしひょっとしたら、そのなかでも、腹の足しになることを見出すのをやめなかったのではないでしょうか。それが、奄振です。

「奄美自立論」42-2

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