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2008/12/27

「ヤポネシア」発祥の地

 ところで、奄美は、シマ/島が主役の島嶼帯であるとしたら、島尾敏雄のヤポネシアは、島尾が奄美に住んだからこそ生まれたのではないでしょうか。大和では個々の島が主役だという実感はもう得られません。また、沖縄にはシマ/島が主役という基底は残っていますが、那覇を核にした都市化により、奄美ほどには感じられなかったでしょう。ヤポネシア・コンセプトの発生源は、奄美なのです。

 ヤポネシアという発想は、「ネシア」が「島としての地域」という意味を持つように、島の大小に関係なく、個々の島が等しい価値を持つという視線に支えられています。この理念に最も適っているのは、奄美の島々です。そういうより、奄美がそういう島々だから、ヤポネシアは奄美で生まれたのではないでしょうか。

奄美もやはり九州島とのあいだのかけ橋としての陸地が陥没してやむなくそれぞれの孤島性を与えられたと考えたがっているようだし、北方からの影響に浸りたい願望の強いことは、日本全体の置かれた姿勢と変りはない。でも覆おうとして覆うことのできない海からの誘いが、足もとの方から立ちのぼってくるのをかくせないでいることに私は気づいている。そのことは土地のせまさと南にかたよったその位置がどうしても大陸や本土にひかれがちの目の向きを回転して島々の方に向けさせようとする。それは数々の劣等感をくぐりぬけたあとで確かな活力を与え、はっきりわからぬが海を越えた南の方からはたらきかける深いところからの呼びかけが感受される。(「ヤポネシアの根っこ」一九六二年)

 島尾は「北方からの影響に浸りたい願望」と島人を傷つけないように控えめに指摘し、しかも「日本全体の置かれた姿勢と変りはない」と奄美を突出させない配慮もしながら、目を向けがちな「北」に対して、「南の方からはたらきかける深いところからの呼びかけが感受される」「南」を対置させています。それはこの少しあとで、奄美を「日本が持っているもうひとつの顔」を探る鍵と見なすように、「北」の日本と「南」のもうひとつの日本という構図をヤポネシアの発想のなかに見ることができます。

 しかし、ここにはもうひとつの軸が見えにくい形で埋め込まれているのではないでしょうか。それは、「陸地が陥没してやむなくそれぞれの孤島性を与えられた」という「陥没」と、「足もとの方から立ちのぼってくる」という「浮上」との対照です。「陥没」からやってくるのは、それによって、九州島と同じように、大陸から離ればなれになって孤島性を身にまとうようになったという別離の感覚であるのに対して、「浮上」からやってくるのは、何もなかった海に浮きあがってくる島ひとつひとつの独立性です。そのことは「大陸や本土」に向きがちな目を島々に向けさせる力になっていると、島尾は言います。

 ぼくたちはここに島それぞれが主人公であるヤポネシアの発想の原質を見ないでしょうか。ヤポネシアは、北部亜熱帯ヤポネシア、奄美から生まれたのです。


「奄美自立論」52

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