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2008/12/03

二重の疎外の瞬間凍結 1

 敗戦から日本復帰までの八年間、奄美は米軍統治下に入り、

 奄美は日本ではない

 という規定を受けました。ここで、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外は消えて無くなったように見えます。果たしてそれは消え去ったのでしょうか。解消されるということは、奄美の内部から疎外を解く動きが必要ですが、それはそうではない。だから、二重の疎外は消え去ったのではない。しかし、二重の疎外の駆動源である薩摩との関係が切断されたことで、二重の疎外は瞬間凍結されました。二重の疎外が瞬間凍結された期間を、ぼくたちはどのように言うことができるでしょうか。

 西村富明の『奄美群島の近現代史』(一九九六年)によれば、この間、奄美の行政機構は目まぐるしく変わっています。

 大島支庁          一九四六年 二月 二日~一九四六年一〇月 二日
 臨時北部南西諸島政庁 一九四六年一〇月 三日~一九五〇年一一月二四日
 奄美群島政府       一九五〇年一一月二五日~一九五二年 三月
 琉球政府(奄美地方庁) 一九五二年 四月   ~一九五三年一二月二五日

 まず、「大島支庁」の段階で、奄美は沖縄と分離して行政を行い、日本本土に籍を有する官吏は本土に送還する決定がなされる。鹿児島が去り、しかし沖縄との関係は制限された中、奄美だけで行政を行うことになりました。

 「臨時北部南西諸島政庁」で支庁長は知事、支庁次長は副知事と呼称変更されます。そして政庁は、日本の教育基本法を参考に一年遅れで奄美の「教育基本法」を実施します。また経済政策立て直しのため、臨時北部南西諸島政庁の他、沖縄民政府、宮古民政府及、八重山民政府の四民政府知事の協定により「琉球農林省」が設置されます。

 「奄美群島政府」では、奄美初の公選知事が誕生している。知事中江は、「奄美政治史上実に輝かしい一ページ」と評価、「奄美政治の革命であり維新であると申しても過言ではない」と就任式で宣言するのです。米軍統治下にあるとはいえ、公選知事の誕生は奄美史上初の奄美による奄美のための政治の出現という意味を持っていました。しかし当時、膨大なドルが投資される沖縄とは異なり、奄美の経済的疲弊は深刻の度を増していました。

 この群島政府は短命で、一年五か月の後には「琉球政府」の一地方庁として「奄美地方庁」が発足します。奄美は琉球の一部と見なされたわけです。


「奄美自立論」37-1

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