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2008/12/21

奄美映画としての『めがね』―空虚という方法 1

 二重の疎外によって抱え込まれた「空虚」を、むしろ得られたものとして生かすという視点を持つと、それを具体化したものとして二〇〇八年の映画『めがね』が考える材料を提供してくれます。

 映画『めがね』を奄美映画として受け取ることはできるでしょうか。無論、この映画は奄美映画として企図されているわけではありません。監督の荻上直子もそんなこと思いもしていないでしょう。『めがね』は与論映画だと言うことはできます。けれどこれとて荻上がそう呼んでいるのではなく、観る側の批評の自由としてそう言うに過ぎません。むしろ作者は、調べようと思えば、舞台は与論島だと分かるが、積極的にそのことを語らないようにしていました。それでもこれが与論映画だと言えるのは、与論島の自然にある意味で全面的に依拠した作品だったからですが、しかもその上、与論らしい事物はほとんど使われていないにもかかわらず、与論らしさが滲んだ作品だったからです。ぼくたちはそれでなおさら、この映画を与論映画と位置づけてみたくなるのです。

 ただ、ぼくが考えたいのは、この映画は与論映画だとして、それだけでなくその延長に、『めがね』を奄美映画として受け取ることはできないかということです。それはつまり、『めがね』で描かれていた与論らしさは、奄美らしさとして敷衍することもできるのではないかということです。

 与論らしさを奄美らしさにつなげるのは、「空虚」です。たとえば、『めがね』では、主人公が観光地を探そうとすると、宿の主は、質問に戸惑った後、ここにはそんなものはありませんよ、と答えます。ここは、何もない場所なのです。もちろん与論島は島自体が観光地として謳われているし、観光する場所もないわけではありません。ただ、映画のなかでは、何もない場所として設定されるのですが、結果的にはそれが与論らしさとして与論を知る者には受け取られたのです。「空虚」を媒介にして『めがね』は与論とつながりました。
 
 「空虚」は、奄美らしさを表現してきました。「付録」や「ぼかし」(山下欣一)は、奄美を言い当てるのに欠かせないキーワードでしたが、この先に奄美が怖れたのは要するに「空虚」ではないかということでした。「自分を無価値のように感じてきた」と島尾敏雄は島人の心理を代弁しましたが、ここでいう「無価値」が、奄美の怖れを雄弁に物語っています。だが仮にきわめてネガティブな文脈でしか語られたことがなくても、近世以降、そして近代以降には顕著に、「空虚」は奄美らしさの謂いになってきたのです。それは「二重の疎外」がもたらしたものですが、ぼくたちにはそれを逆手に取る自由だってあるのです。「この世界のどこかにある南の海辺」という『めがね』の設定は、与論もそうですが、「付録」や「ぼかし」として非在化してきた奄美にこそふさわしいのです。

 このことは、沖縄映画と比べると、そのポジションがより明瞭になります。ぼくたちは沖縄映画と言った途端、そこにトロピカルやリゾートや方言やアメリカや基地や戦争や平和といった夥しいイメージや言葉が喚起されるのに気づきます。そしてそれは、奄美映画と言ったときに、その言葉が新鮮でありこそすれ、そこから想起されるイメージが何もないのとは対照的というか対極的なのです。沖縄映画には持て余すほどに「過剰」なイメージがあるとすれば、「空虚」は奄美映画の持ち分なのです。

 多くを見聞していませんが、奄美映画としての『めがね』を考えるときに参照するのは、たとえば高嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』です。『ウンタマギルー』も、映画を製作するに当たって、沖縄にまつわる過剰なイメージを前提としているし、むしろ、その過剰なイメージをどう処理するのかに応えること自体が映画のモチーフになっていました。

 思い出せば、映画『ウンタマギルー』では、アメリカ、基地、復帰問題、三線、砂糖きび、泡盛、キジムナー、方言といった沖縄的素材がふんだんに盛り込まれていました。しかし、その素材はどう扱われているかといえば、たとえばキジムナーは、木の精霊であるという描かれ方は由緒正しいのですが、大人の男性として登場するあたり、どちらかといえば、子どものほうが合っているので違和感を持つように、これが事実であるという出し方をしていません。方言は琉球の方言なのですが、実際に使われていた以上に、台詞を全て方言化しているのが感じられます。もっとも耳を澄ますようにしなくても、麻薬のような淫豚草が出てきたり、アメリカの高等弁務官が豚と血液交換をしたり、ウンタマギルーは空を飛ぶので、フィクションだとあらかじめ分かることも数多く出てきます。この作品を観ていると、事実と架空をないまぜにして、というより、事実として受け止められているかもしれない事象を使いながら架空化していくことによって、現実なのか架空なのかがよく分からなくしていました。現実の重力場を失っていない架空というか、ぼくたちはフィクションだと思いながらも、ではどこまでが現実かを言い当てようとすると覚束ない、そんな映像になっています。こうした作品の作られ方は、高嶺剛が『ウンタマギルー』の前に制作した『パラダイス・ビュー』について加藤典洋が指摘したこと(「ラディカルの現在形」『ホーロー質』一九九一年)とほぼ同型のものとして受け取ることができます。

 映画『めがね』には、使うにしても闘うにしても、その前提となるようなイメージは何もありません。では、荻上は、島の自然と事物を淡々と描いたかといえばそうではありません。肌理の細やかな真っ白い砂浜と汀に寄せるさざ波、島に吹く潮風や島全体に広がる砂糖きび畑などは、島の自然に全面的に依拠していましたが、携帯電話が通じなかったり、メルシー体操という珍妙な体操を踊ったり、物々交換をしていたりと、事実ではない要素が盛り込まれていました(もっとも島の相互扶助としての物々交換はあるけれど)。

 映画『めがね』でも架空化という手続きを踏みますが、それはこんな場所があったらいいという観る者の願望に添って編み上げられていました。一方、映画『ウンタマギルー』では、観る者は居心地悪く、不安になるように架空化が施されていました。『ウンタマギルー』が「過剰」を架空化して不安にさせるとすれば、『めがね』は「空虚」を架空化して願望を喚起させていました。

 そのような手続きを踏むことによって作者が描きたかったものは何でしょうか。高嶺剛監督が映画『ウンタマギルー』で描きたかったのは高嶺が主張したように、琉球の聖なるけだるさ、「オキナワン・チルダイ」でした。オキナワン・チルダイは、柔道の巴投げが、挑みかかる相手の力と体重をこちらの力に換えるように、沖縄に抱く観る者の過剰な先入観の力をむしろ借りて、その信憑を現実か架空か分からないところへ宙吊りにして不安定化した上で、すっと、これがオキナワなのだよと全く思いもしないイメージを差し出してくる。それは言ってみれば、運玉森の地霊のもと、人間と動物、植物の境が無くなり、それらが同一化する世界です。そこでは、豚は人間であり、親方はニライカナイの神からヤンバルクイナになることを命じられたり、キジムナーと語らうことができたりします。ぼくたちは過剰なイメージが架空化され映画世界にのめりこむところで、〝チルダイ〟けだるさのイメージを手渡されるのです。

 映画『めがね』で、『ウンタマギルー』のオキナワン・チルダイに当たるモチーフは、「たそがれ」です。それは言ってみれば、さざ波や潮風や夕陽などの自然の時間の流れとシンクロすることで人が空間に溶け込むことです。あるいはその憧れや予感の前に佇むことでした。『ウンタマギルー』が自然と分離しない時間を描こうとしていたとすれば、『めがね』は自然と分離しない空間を描こうとしていた、と言えるのかもしれません。ただ、荻上は架空のあらまほしき世界を描こうとしたのではありません。与論島から感受されるものを描こうとすれば、携帯電話が通じないなど、空虚をさらに空虚化するように架空化して、自然とシンクロしやすくさせたのだと思えます。

「奄美自立論」48-1

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