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2008/12/28

元ちとせ―還るという課題

 八〇年代にりんけんバンドの作品を聞いた時、琉球音楽を元にしながら、日本の他のポップスと比肩しうる普遍性を持った音楽が登場したと感じました。また、九〇年頃、西武百貨店池袋店の屋上で、彼らのライブを初めて聞いたとき、沖縄音楽に血が騒ぐのを感じて驚きました。それは自分の身体が琉球につながっているのを深く実感した瞬間でした。

 それと同時に、沖縄の音楽が都市に響く普遍性を持ちえたとして、奄美の音楽がここに到達するのにあと一体どれくらいの時間を要するのだろうと、途方に暮れるように感じました。それはとてつもなく困難な課題に思えたのです。それだから、二〇〇二年に『ハイヌミカゼ』を引っ提げて元ちとせが登場した時には驚き、心底嬉しくなりました。やっと奄美が来た!そう思えたのです。

 しかも、元ちとせが持っている、何というか、音楽の貯水池は、りんけんバンドの音楽の貯水池より遥かになみなみと湛えているように感じられます。それは元ちとせのライブを聴くとはっきり分かりました。

 いつものように(と聞きました)裸足で現れた彼女には、遊びたい盛りの少女の初々しさと、南島の呪力を秘めた歌姫としての風格を同時に感じるようでした。彼女は、両手を横に広げる立ち姿を見せることもあれば、手のひらで太陽を遮るように天を仰いだり、上半身を大きく揺らして身体を揺さぶりながら歌ったりします。

 そこからぼくたちに届くのは、声と裏声のうねりの波動でした。元ちとせの身体表現は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図のように、彼女が広げた両手を外延にした球をつくりだします。彼女が歌うと、直立した女性身体から歌声が発せられるというより、その球になった塊からエネルギーが放散されているといったほうがいい。そこから何か、あたたかな力の流れが届く気がしました。それは、CDを聴いているときには触りしか分からなかったことでした。

 元ちとせの、あの球状のエネルギーの塊は何だろう。あれは奄美の無意識ではないでしょうか。適切な言い方かどうか分かりませんが、たとえば、美空ひばりの演歌が、アジア的歌唱のひとつの完成型であるとしたら、元ちとせの歌唱は、それよりもっと前の原初的な場所から、もっと幼生の形で放散されている気がします。奄美は豊かな精神的資産を持っていると、ぼくは思いました。元ちとせのあの、二重の疎外がもたらしたような裏声を響かせた歌唱は、奄美の深い森から発せられていると感じられるのです。

 りんけんバンドの音楽は、既に芸能化していますが、元ちとせの音楽は芸能化する前の精霊の姿を彷彿とさせます。りんけんバンドがコザという都市を背景にしているとすれば、元ちとせは奄美の森を背景にしているという違いがここにはあります。

 映画『めがね』では、二重の疎外による奄美の「空虚」を生かした方法を考えましたが、元ちとせの音楽は、その歌い方に二重の疎外の痕跡を感じますが、真っ正面から奄美の過剰を表現しています。ぼくたちは元ちとせの音楽は、過剰として奄美表現の嚆矢と言うことができるのではないでしょうか。

 その意味で奄美の表現でいま最も遠くに行っているのは、元ちとせの音楽だと思えます。ぼくは想像するのですが、それは彼女に重たい課題を強いているはずです。言ってみれば、「還る」という課題です。それは奄美がこれまであまり考えずに済んできたことでした。

 吉本隆明は表現には往きの道と還りの道があるとたびたび書いてきました。これは多様な含みを持つ言葉ですが、往きの道は、どこまでも知的に上昇する過程で、人間にとっては放っておけばそうするという自然な過程です。それに対して、還りの道は、知的なものを解体して知ではないもの(非知)に着地する過程で、これは自覚的にならなければ辿れないとされていました。

 たとえば吉本は、文芸批評家という自身の職業を例に採って、文章を書く商売について、対価を得て書けるようになるのに、資本主義社会は半分は助けてくれる。文章で食べていきたいという者を助けて、その場を提供するように働きかけてくれる。ところが、往きっ放しになると還ってこれなくなる。つまり、求めに応じて望まれることだけを書いていくと、自分にとってもっとも切実で大事なものを書くところに戻ってこれなくなる、と、そういう言い方をしてきました。吉本がそう言った時点より遥かに社会の速度が上がった現在では、タレントや作家や音楽家がいきなり脚光を浴びたかと思いきや、矢継ぎ早に作品を発表し、そのうちある日突然のように姿を消してしまう、ひたすら消費されて終わる市場のあり方を指しているように見えます。吉本はそのことを指して、自分の還る場所を確保することがもっとも本質的な課題だと言ってきたように思えます。

 ビートたけしが、あのフライデー事件を起こしたとき、吉本は俺がビートたけしだったら、自分の芸を観に来てくれる人だけを相手に小劇場のようなところで、しばらく芸を披露して食っていくという意味のことを書いたときも、ここでいう還りの道のことを言っているのだと思えました。

 元ちとせもそんな課題を持っているのではないでしょうか。元ちとせは自分で作詞作曲しているわけではありません。元ちとせという音楽機械に対して楽曲が提供されることで彼女はそれらの作品に憑依します。そして音楽機械としての元ちとせが並々ならぬエネルギーを持っているとしたら、提供される楽曲の表現域は拡張されていくに違いありません。それは往きの道の必然であり、元ちとせは行ける限りどこまでも遠くへ行こうとするでしょう。しかしそれは反面、起点の場所からも遠ざかることを意味します。その振幅が拡大すればするほど、そこへ還ることは難しさを増していくはずです。彼女にとって、その還る場所とはきっと、無心に歌った島唄の場所です。元ちとせが、島唄の場所を確保したままやっていけるか。それが、彼女の表現者としての生命を決めていくに違いありません。少し言い換えてみれば、元ちとせが奄美の失語によく耳を澄まし続けることが、彼女の発語である音楽表現の永続化の力になるのではないでしょうか。もちろんぼくたちは、元ちとせが島唄の世界を基底に持ち豊かな貯水池を保ちながら、新しい奄美表現を作り出していくのを願わずにいられません。彼女の音楽表現は奄美の失語を深い場所から慰撫しており、かつそれが後続する奄美の表現者たちの大きな励みになっているからです。

 思い出せば、黒糖の自由売買を求めて勝手世運動を展開し、鹿児島に嘆願に向かいながら、谷山監獄に入れられ、その上、西南戦争への従軍を強いられ命からがら帰ってきた奄美の先人は、「学問ど学問ど」と島人に伝え、近代に生きるのに何が必要なのかを奄美に伝えました。ここまでくればぼくたちは、「学問ど学問ど」が往きの道の言葉であることが分かります。奄美はそこからもう一歩踏み出して、還りの道をつくる段階に入ったと思えます。ぼくたちはもう「学問ど学問ど」だけでは足りない。ほんとうは最初から「学問ど学問ど」だけでは足りなかった。けれど、往くことすら困難なときは、還ることが課題に上るまでもなかったから問わずに済んできたのです。元ちとせ以降、もうそうではありません。ぼくたちひとりひとりが、それぞれの奄美の本質的な場所を確保する課題を持ち始めたのです。

 ぼくたちは奄美づくりの過程でどんな奄美の自己像を手にするでしょう。確かなのは、それはもうどんな外的な勢力が規定するのではない。奄美の島人と奄美に関わる一人ひとりに委ねられているということです。


「奄美自立論」53

「奄美自立論」了

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コメント

そうですね。

昨日 餅つきに参加してつくずく 思いました。
 和 輪 話の場を提供できる雰囲気がまさに欲しい時季ですね。
  奄美振興が何処に・・・。

投稿: awa | 2008/12/29 01:44

 元ちとせのCDは、シングル、アルバムすべて持ってますよ~。
 ラジオから流れる「ワダツミの木」は衝撃的でしたね。

投稿: 琉球松 | 2008/12/29 14:38

awaさん

与論で話したいですね。
奄振のこと、道州制のこと、ゆんぬんちゅがどう考えているのか、知りたいです。

投稿: 喜山 | 2008/12/29 17:26

琉球松さん

「すべて持ってる」。すごいですね。
ぼくは持ってません。(^^;)

> ラジオから流れる「ワダツミの木」。

あの頃、元ちとせの故郷の嘉徳を通ったら、「紅白」への出場祈願の横断幕が掲げてあったのを思い出します。
当然、「紅白」レベル?の子ではないのですが。

投稿: 喜山 | 2008/12/29 17:28

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