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2008/12/10

『生きて帰って来い、必ずだよ』

 大事な本を紹介し忘れていた。与論の山根純雄さん著、『生きて帰って来い、必ずだよ』。

Yamane


















 この本は、「与論島から満州そしてシベリア」と、リード文があるとおり、戦中を生き抜いた与論人(ゆんぬんちゅ)の体験記がつづられている。

 満州開拓だからと現地に行ったら徴兵され、日本に帰すと言われて五日半、歩いたらシベリアに抑留され、と、自分の意思とは関係のないところで、極限の体験を強いられ、翻弄されるのが痛々しい。昭和十九年三月頃、第二次与論開拓団に加わり満州へ。『鹿児島戦後開拓史』の池田さんの歴史と重なる。しかし昭和二十年五月に赤紙。戦後はシベリアで抑留。二年後、恵山丸に乗ってナホトカを出発、昭和二十二年十一月二十一日、舞鶴に到着している。

 タイトルの「生きて帰って来い、必ずだよ」は、徴兵されたとき盤山駅に見送りに来てくれた母の言葉だ。しかし、山根さんは母の言葉を支えに生き残るが、母と再び会うことはできなかった。舞鶴から親戚の消息を尋ねるために大牟田へ向かい、そこで収容所で亡くなったことを知らされるのだ。

 原稿用紙にして五十数枚の短編的な長さだけれど、この圧倒感は何だろう。

極寒の一月に入った。体も少しずつ慣れて。焚き火をしながら常に足先を動かした。零下三十度は毎日のこと。一、二月の四時~六、七時ごろまでは零下四十度。寒さを表現する言葉が見つからない。

 まるで長編を読んだような気になるのは、一刻を生きるのにも力が必要だったぎりぎりの時間が凝縮されているからだと思う。作品は、喜山康三さんが十年かけてしつこく書いてとお願いして実現したという。戦争の話は身近にあるようで、ちゃんと聞ける機会は少ない。与論人(ゆんぬんちゅ)の物語はなおさらだ。いま、手元にありいつでも読めるのがとても嬉しい。名瀬のあまみ庵でも売ってくれていた。

定価:560円
問い合わせ先:「与論島の自然と歴史と文化を記録する会」
TEL:0997-97-3345



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