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2008/11/27

自失としての復帰 1

 敗戦後、奄美が沖縄、小笠原などともに米軍統治下に入ったことで、奄美はパニックに陥ったのではないでしょうか。米軍統治下に入るということは、

 奄美は日本ではない。

 と規定されたことを意味しています。

 奄美は、「琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を受けてきました。そしてその脱出口を、「奄美は日本である」ことに求めました。敗戦による日本からの行政分離は、「奄美は日本ではない」と、奄美の脱出口を塞がれたことを意味します。どうしようもない混乱が奄美を襲ったのではないでしょうか。

わたくしは奄美大島出身の者であります。今回奄美大島の帰属問題について、歴史上からの私の知っている範囲内において純然たる日本人であり、また日本国の一部であることを立証いたしまして、皆さんの御参考に供えて、そうしてこの帰属問題について皆さんのご協力を仰ぐ次第であります。
 もうすでに御承知の通り、奄美大島は、沖縄と共にずいぶん古い、開びゃく以来古い紀元を持っておる島であります。人種の上からいっても大和民族の一つの支派であります。大和民族の、もっとも移動についてはたびたび行われておりますが、一番最後の第三回目に大陸から朝鮮海峡を経て日向に落ち着いたのが、一番武力においても知能においても最も優秀な民族で、これを固有日本人という学名で呼んでおりますが、その一派が日向、大隈、薩摩ここから南の島々に殖民して、それがわれわれのつまり祖先になっておるわけであります。もちろんそれ以前に先住民族がありました。アイヌのごときはその一つでありますが、しかしどこまでもやはり奄美人の主体というのは固有日本人で、これは学術上明らかに証明されておるので、わずかにアイヌの血が混っておるというに過ぎません。その点においては、日本全土挙ってアイヌの血を多少とも受けておるわけでありますから、ひとり奄美大島ばかりには限りません。どこまでも主体としては固有日本人になっておるのであります。
(東京奄美会『東京奄美会八十年史』一九八四年)

 これは、一九五一(昭和二六)年、奄美連合全国総本部委員長、昇直隆が、参議院外務委員会公聴会に参考人として呼ばれ、そこで展開した「日奄同祖論」です。昇直隆は、ペンネーム昇曙夢、『大奄美史』に天皇の行幸を「千載一遇の光栄」と書いたあの、昇です。

 この認識は痛ましいものです。この痛ましさは、敗戦による「奄美は日本ではない」という規定にパニックを起こしたことでやってきていると理解しなければ、情けない認識とでも言う他ないものです。「日本人になりたい」と願望した子供たちと席を並べていた大正時代の大山には、「ヤマトチュではないにしてもわれわれはみな日本人であること」と、大和ではないという素朴な認識がありました。しかし、昇はここで、自分たちは「大和である」と主張するに至っています。奄美は「琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を受けてきましたが、ここで昇の「奄美は大和である」を言うことで、二重の疎外の規定外のことを口にしたのです。

 しかし、この昇の主張からは二重の疎外を解除する響きはやってきません。なぜでしょうか。「琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を時間の流れに添って言い換えれば、「奄美は、もう琉球ではない、だが大和にもなるな」と言われたものでした。旧来の琉球と到来した大和というのがここでの順番で、そうであればこそ大山少年にも「大和ではない」という自然な認識があったわけです。昇のここでの主張は、もともと「奄美は大和である」と主張することで、大山少年の認識を誤りであるとするものでした。しかしこれは無理な主張と言わなければなりません。奄美は琉球と大和の交流地域として存在してきた時間があります。だから、時間を遡行すれば、南下する大和勢力も当然、定着しています。昇はそのことを指して、だから「奄美は大和」と主張するのですが、それは半面の妥当性しか持ち得ません。

 だから「主体として」という苦し紛れの表現を出さざるを得ないのです。残念なことに、昇は、「奄美は大和である」ことを主張するのに、「アイヌ」の否定をもってしています。これは、「奄美が大和である」のでなければ、アイヌ、つまり非大和であるという見なしを受けるという恐怖から繰り出されている判断ですが、残念なことに変わりはありません。

 大山少年には、「奄美は大和ではない」という素朴な認識があったのに、いい年をした昇は戦後に、「奄美は大和である」と必死の思いこみで主張しだしたのです。

 どうしてこうなってしまうのか。それを理解するには、敗戦による「奄美は日本ではない」という新しい規定がもたらした混乱と見なすほかありません。


「奄美自立論」34-1

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