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2008/11/08

なぜ、薩摩は琉球を侵略したのか

 いまではぼくたちは、薩摩の琉球侵略と奄美の直接支配が、五〇〇万両に及ぶ借財を返済させたばかりか、明治維新の原動力となる財力をもたらしたことを知っていますが、それはある意味で結果論です。侵略当初、明治維新のことはこの国の誰もが夢想だにしていないことでした。

 ではそもそも、薩摩はなぜ琉球を侵略したのでしょうか。

 紙屋敦之の「薩摩の琉球侵入」(『新琉球史 近世編(上)』)からは、ことに至る経緯に、薩摩の外在的と内在的にと二重の動きがあったと受け取ることができます。

 ひとつは、幕府の対明政策の一環として琉球侵略が行われたということです。

 豊臣秀吉は琉球侵略の意思を持っていたが、九州を平定した秀吉は、なぜか朝鮮出兵を行う。朝鮮の宗主国である明も相当な戦力を消耗した後に行われた講和交渉で、秀吉は日明貿易の復活を条件のひとつに挙げたのに対し、明は日本を冊封する意図を伝えるが、秀吉はこれを拒否します。しかし秀吉の死により朝鮮への侵略戦争は終止符が打たれます。

 次の徳川家康は、北方で台頭している女真族の蝦夷地侵入を懸念し、朝鮮、明との講和を急ぐ必要を感じます。そこで、日明貿易の復活に明と冊封関係にある琉球を仲介させようとするが、琉球にとっては日本への属国化を意味するので、応じられない。そこで、琉球を支配下に置き、日明貿易の窓口化を狙っていた薩摩が、日明貿易の復活を急ぐ幕府の命を借りて琉球を侵略したのです。

 これが外在的な侵略の動機です。

 もうひとつ、内在的な動機として、紙屋は一六〇九年の侵略に先立つ三年前の一六〇六年に大島侵略計画のあったことに着目します。島津氏は、幕府からの石漕船三〇〇艘の建造と江戸への運送と島津忠恒が家康の諱(いみな)の一字を賜る儀式を控えて財政困難にあり、大島の割譲を狙っていました。そこへ同年、島津領に隠知行のあることが発覚します。実際には存在しない石高が見つかったということだと思いますが、それが太閤検地後の表高の約一九%にも相当しており、この分は農民に年貢・夫役を賦課することができません。島津の薩摩支配はこの意味でも危機に直面し、それを解決すべく、諱を賜って改名した家久は家康に大島侵略の許可を請い、許されるのです。
 
大島侵略は、これまで島津氏の私的な政策として立案されていたが、今や幕府公認の政策の地位を得ることになった。これによって家臣団は、大島侵略への反対を公然と行えなくなった。

 家康の許可を境に、史料上の文言も、「大島入」から「琉球入」へ変わる。この違いは、島津氏の目的が大島の獲得にあったのに対し、幕府のそれが琉球の来聘実現にあった、という差違を反映していると考えられる。(「薩摩の琉球侵入」『新琉球史 近世編(上)』)
   この内側から来る「大島入」の動機と外側から来る「琉球入」の動機が同致したところで、薩摩の琉球侵略は決行されたのでした。

 そしてこれを見ると、奄美の直接支配が薩摩の巨大な借財を返済させたという結果は、侵略の目的の半分でもあったことになります。そもそも財政上の困難を解決し島津の権力を安定化させる狙いがあったわけです。これは、ぼくたちの予想に違わない結論ですが、ぼくはここで自分の実感に照らして侵略の動機に言葉を与えてみます。

 薩摩の共同意思にはこわばりの共同性とも言うべき極度の緊張感がみなぎっているのを感じます。そしてもうひとつは、薩摩の共同意思は藩の領主あるいは県にとどまらない国家への欲望を宿していると感じられることです。それはどこからやってくるのか。それは「過剰な武士団」ではないでしょうか。

 原口虎雄によれば(「奄美大島の耕地制度と農村の両極分解」)、全国平均が、平民一六・五人に士族一人であるのに対し、薩摩は平民二・八人に士族一人です。これは、全国平均の五・九倍、約六倍の武士団を農民らが抱えていたことになるのです。この過剰な武士団の維持を奄美の直接支配が満たしたのです。もちろん奄美の人口だけでは士族の密度を全国平均にすることは到底できません。しかし、生産高では全国並みあるいはそれ以上になるようにしたといえば辻褄が合うのが黒糖収奪でした。そして過剰な武士団が醸成する国家への欲望を琉球への間接支配が満たしたのです。過剰な武士団の〝腹〟を奄美が、〝頭〟を琉球が、というわけです。

 ここでもうひとつ侵略の契機をなすものを挙げるとすれば、本土あるいは大和の端という薩摩の位置です。鎖国を敷いた日本のなかで他藩に対し鎖国し、薩摩は二重鎖国を敷いていましたが、裏の裏は表とでもいうように、二重鎖国でありながら琉球を介して他国とつながることを可能にしたのは、本土・大和の端というポジションでした。

 この端というポジションを梃に、過剰な武士団の共同意思は琉球を侵略しますが、内実は奄美の直接支配によって過剰な武士団を維持し、琉球の間接支配によってその国家幻想を満たしたのでした。


「奄美自立論」 21

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