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2008/11/22

近代化の第三幕2・カトリック

 大島経済が施行された半世紀の間、大島を中心に島人をよく支えたのはカトリックでした。祖霊信仰と来迎神信仰の自然宗教が強固な奄美にあってカトリックは意外な響きを持ちます。しかし、自然宗教の厚い奄美も、奄美が近世以降被った二重の疎外の困難を背景に置けば、カトリックが受容されたのは自然なことです。

 二重の疎外は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という形をしていました。近代は二重の疎外が顕在化しますが、それは島人個人が二重の疎外を課題として背負い込むことを意味しています。そこで、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外は、奄美の島人を猛烈な空虚感として襲うはずです。自分たちは空っぽである。そう感じたに違いありません。近代がもたらすという「人民は上下の区別なく」という告知書も奄美にとっては実態の伴わない空念仏に過ぎなかったでしょう。ユタとノロの信仰の体系も抑圧され弱体化しており、またそれらは二重の疎外の困難に充分に応えてくれません。

 こう見てくれば、神の前での平等と救済を謳う信仰を受け入れる下地は、奄美に充分にあったのでした。事実、カトリックは短期間で急速に普及しています。このとき、カトリックの普及を依頼したのは、奄美出身の岡程良(ていりょう)でした。岡は奄美の二重の疎外を感じればこそ、布教を託したのでした。

 岡の要請を受けてカトリック教会の神父が大島に来島したのは、一八九一(明治二四)年、大島経済が開始されてから三年後のことです。岡は大島経済に対抗する想いを込めて、布教の依頼をしたわけではありません。しかし、それは大島経済下の奄美の島人の精神をよく支えたことは間違いないと思われます。

 渡辺千秋は、県令三九号が撤廃に追い込まれた後に、次のモンスターとして大島経済を送りこんだかのようですが、岡程良も、カトリック布教依頼の前に、奄美を舞台にした物語を持っていました。むしろ、その物語の果てに布教を託したのかもしれません。

 県令三九号が一八八七(明治二〇)年に発布されると、奄美全体に撤廃運動が展開されます。そのなかで、一八八九(明治二二)年、喜界島の糖商、田中圭三が突然、令状なしに派出所に二五日間も拘留される事件が起きました。喜界島の島人は田中の釈放を求め要請しますが撥ね付けられます。しかし田中の拘留は、南島興産商社が、県令違反で告訴したためであることが判り、怒った島人約三〇〇人が、田中の即時解放を求め派出所に押しかけ、危険を感じた警察側は田中を釈放します。しかし事件は「喜界島兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)事件」とされ、参加者全員が裁判所で裁かれることになったのです。

 ぼくたちはここであの黒糖収奪下、徳之島で起こった母間騒動や犬田布騒動と同型でありその反復であることを見ないでしょうか。

 この事件は商社、県庁、警察、裁判所の結託の疑いが拭えず、司法の独立性を損ねる恐れを感じた検事、関清英は、裁判所管轄を長崎に移転、そこで、投石、ガラスを割った二人を除き全員の無罪を勝ち取ります。岡はその関の後任として関の推薦により検事として着任するのです。

 岡程良は、田中圭三事件を洗い直し、判事が商社に加担していた証拠をつかみ、関係者を偽証罪で起訴します。しかし、裁判所は岡を官吏侮辱罪で逆に起訴されてしまう。その後、岡は薩摩の郷中放しよろしく佐賀の裁判所への転出を命じられ、その地で極度の神経衰弱を患い、三六歳の若さで他界するのです。
岡が佐賀に転出するのは、一八九二(明治二五)年、カトリックの布教を依頼した翌年のことです。岡にしても、これらの激闘の果てにカトリックの布教を奄美にもたらそうとしたのでした。

 大島経済とカトリックは、経済と宗教であり、直接、対立する場面を持つわけではありません。しかし、両者は県令三九号をめぐる闘いの末に生み出されたものであり、その意味では、奄美近代の第三幕は、岡程良と渡辺千秋に象徴される戦いであり抵抗劇でした。

 ところで、田中圭三の事件は、中江兆民が主筆する「大坂東雲新聞」で、「近時、大島郡を指称するに東洋のアイルランドを以ってするものあり」として「島民の日常生活は次第に窮乏を告ぐるに至り、まさに飢饉の縁に迫らんとする状況にある」と紹介されました。奄美はここにきて、ようやく民権思想の担い手たちによって知られる契機を得たのです。

「奄美自立論」31

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