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2008/11/21

近代化の第三幕1・大島経済 2

改めて見てみよう。

 一八七一(明治四)年一二月 薩摩 西郷、大島商社設立に賛同
 一八七二(明治五)年 七月 琉球 琉球の伊江王子、奄美の返還を要求
 一八七四(明治七)年 九月 日本 大島県構想

 二重の疎外が顕在化した近代初期、琉球、薩摩、日本はそれぞれの位置から奄美へ食指を伸ばそうとしていたことが分かります。ぼくたちが関心を持つのは、薩摩以外の琉球の要求も日本の構想も、二重の疎外への対策の意味を持っていることです。琉球の要求は、二重の疎外が生まれる前の状態に戻すことで、疎外のひとつが解除されることが予想され、日本による大島県構想には、二重の疎外を前提に、疎外の当事者である奄美を主体化することによって、二重の疎外を克服する可能性が内包されています。もちろん日本が二重の疎外の克服を親切にも促してくれているのではなく、黒糖に関して鹿児島県支配を排除しようとしたのは、黒糖の日本支配の意図を下敷きにしていただろうからです。こうしたむき出しの思惑の前には、伊江王子の要求が呑まれるはずもなかったのです。

 この大島県構想は、伊藤博文が大久保利通の判断に任せるとしたが、大久保が「否」としたため実現しませんでした。しかし実現しなかった大島県構想は、行政体としてではなく、大島経済として経済体としては成立することになったのです。

 大島経済とは、独立経済と呼ばれるように奄美の経済を奄美の税収の予算規模で完結させるものでした。結果、どうなったのか。西村富明の『奄美群島の近現代史』によれば、大島経済が開始された一八八八(明治二一)年から一九四〇(昭和一五)年までの五三年間で、鹿児島(本土)の予算が二〇倍の伸び率であるのに対し、大島予算は一〇倍の伸びに止まっています。また、皆村武一は『奄美近代経済社会論』のなかで、一八八八(明治二一)年の大島予算は鹿児島(本土)予算の約一〇%だったのが、二三年後にはわずか三・四%になっていたと指摘しています。奄美の経済は収縮していったのです。

 しかも、一九〇一(明治三四)年に施行された砂糖消費税と織物消費税が追い打ちをかけます。砂糖消費税は農民に税負担が転嫁される仕組みだったため、砂糖きび農家を襲い、織物消費税は成長しつつあった大島紬の消費を減退させてしまいました。この税制を見ても、日本による大島県構想が、鹿児島の利益を国の利益にする意図があったことが推測できます。

 大島経済については、奄美に本土並みの税負担を強いるのは忍びないから、島嶼独自の発展をするためにという観方と、一種の切り捨て政策であるとする観方があります。ぼくは、「奄美に本土並みの税負担を強いるのは忍びない」として予算を奄美内で完結させるのは、責任回避の論立てではないでしょうか。そもそも、奄美を疲弊の極みに追い込んだのは、幕藩制期の植民地支配なのだから、それが終わったのであればその責任を薩摩は取らなければならない。それがあるべき論の立て方です。でもそれは無かった。あるのは、近代以降も生きる二重の疎外の論理だった。ここで、二重の疎外の「大和ではない」という規定は、「日本ではない」あるいは「本土ではない」として機能し、放置プレイ、無視を決め込んだのです。大島経済に終止符が打たれるのは、半世紀余の五三年も後、一九四〇(昭和一五)年のことでした。

 西村は、大島経済施行の八年前、一八八〇(明治一三)年には、県会で、「大島郡の経済を内地と分離し該郡五島は特に官の保護を請ふ」という建議が提出されたのを紹介していますが、この「官の保護を請ふ」が、薩摩の責任回避の論をあからさまに象徴しています。疲弊の地に追い込んだ当の主体が、黒糖収奪の永続化が不可能になった途端に、「官の保護を請ふ」と進んで言ってしまったわけです。過剰な武士団の消滅後、姑息さしか残らなかったのか、あからさまな責任回避に彼らは気づくことは無かったのだろうか。薩摩自身のしでかしたことに薩摩自身が向きあわなかったことは、薩摩の思想が明治維新「以後」に行けない停滞の一因をなしているように見えます。

 繰り返せば、大島経済は半世紀余も続きました。渡辺とはいったい何者だろう。奄美は、二段階の抵抗のあと、大島経済のなか、とことんに疲弊の度合いを深めていったようにみえます。なぜなら、このあと皇国民へ容易に取り込まれ、次に奄美から声が聞こえてくるのは、復帰運動のときなのだが、もうそのときは、丸田や麓、岡の声に見られるような抵抗の力強さは消えてしまっていたからです。この疲弊が根底から回復するまでぼくたちはどのくらいの時間を費やすればいいのでしょうか。

「奄美自立論」 30-2

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