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2008/11/06

読者モニターを募集します

 いま、毎日、投稿している「奄美自立論」は来年、本として出版する予定です。

 ブログに挙げているのはまだ途中ですが、原稿は第一稿を終えたところです。
 で、ふと思ったのですが、感想をお聞きしたくなりました。

・まだ、第一稿。誤字脱字、意味不明、当たり前です。ソフトでいえばα版くらいです。
・でも読んで感想を書いてもいいというキトクな方、左メニューの「メール送信」のアドレスから、メールをください。
・ファイルあるいは紙で原稿をお送りします。
・11月中に感想をいただけると嬉しいです。
・いただいた声はできる限り反映いたします。

 読者モニターになっていただいた方には、出版の際、本を贈呈させていただきます。

 目次はこんな感じです。→ 「奄美自立論、メモ」

 まだまだ修正・加筆は加える代物ですが、読んでやってもいいという方、ぜひお便りくださいませ。
 よろしくお願いいたします。m(_ _)m



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コメント

奄美大島瀬戸内町久慈から祖父が明治時代に鹿児島経由で東京に出てまいったと思います。残念ながら奄美においての祖父や曽祖父の職業は分かりません。平成16年に初めて訪ねた際に、奄美に住む高齢の親戚(祖父の姪)から、我が家は村長の様な立場であり村落の半分以上の土地を所有していたと聞き驚きました。また今は使われていない五輪塔の墓蹟があり、我が家の墓はこれらが何対かあったと説明されました。その際に瀬戸内町の役場で江戸時代の除籍簿に祖父と曽祖父の名前で見つけ出しました。その時代から苗字が2字であることもわかりました。私の少ない知識ではこれは薩摩藩からの遠島人か役人が奄美で所帯を持った家系と推測されますがこれ以上のことは調べるすべもありません。高齢の親戚(祖父の姪)があるときに祖父を鹿児島に尋ねた際には「いつまでも奄美にいては駄目だ」と姪に言っていたそうです。当時の奄美の体制に嫌気がさしていた発言なのか、鹿児島側や日本全体から奄美をみての発言だったかも知れませんがこれも解りません。地勢的に考えて、当時の奄美でそれなりのお金があったということは、久慈湾は良い湊ですので黒砂糖を運び出すのにも使われていたかもしれませんが、やはり黒砂糖はなんらか関係があったのかとも思われます。何とか祖先がどのような生活をしていたのか、なぜ、そんな広い土地を所有などしていたのか調べてみたいと思っていたものでした。それから4年半がたちました。
暫くそのことを忘れておりましたが、このたび偶然にこの貴サイトで奄美と薩摩の関係をさらに知り興味を持っております。何かヒントでも頂戴できればと期待して思い思わず書き込みをしてしまいました。もし我が家の家系についてさらに調べる術があればと存じお願いする次第です。何卒宜しくお願いいたします。

投稿: 中江健一 | 2008/11/11 19:16

中江さま

コメントありがとうございます。喜山です。
祖先を尋ねたい想い、心中お察しいたします。

お名前で思い出したのは米軍統治下に知事だった中江実孝でした。大島にあるお名前なんですね。

「いつまでも奄美にいては駄目だ」というのは、身を立てようと思えば本土へ行かなければ駄目だということなのではないでしょうか。再三、言われてきたことなので、そんな気がいたします。

ぼくは大島内のことは具体的には知らないので中江様のヒントになることをお伝えできないのですが、いろいろな方にお聞きすることはできますので、メールでやりとりさせてください。

投稿: 喜山 | 2008/11/12 08:43

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