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2008/11/14

近代化のために奄美がしたこと 1

 奄美が日本の近代化のために果たしたこととは何だったでしょうか。ぼくたちはこれまで、薩摩は奄美からの黒糖収奪により巨額の借金を返済しただけでなく、明治維新に向けた実行の資金を得たという説明を耳にしてきました。

 しかし、そこでの文脈の主体はあくまで薩摩であり、薩摩の行為におけるその縁の下の力持ちを演じたように書かれてきました。しかしぼくたちが、奄美として言うのなら、奄美を主体にした語りが必要なのではないでしょうか。そして、奄美は植民地だったという認識を受け入れると、ぼくたちはもっと言いうることがあるのではないでしょうか。

 奄美が日本の近代化のためにしたことは何だったのか。

 ぼくはここでひとつの考えを引き、そこから得られる示唆をもとに、奄美の果たしたことに触れてみたいのです。加藤典洋は『日本人の自画像 (日本の50年・日本の200年)』(二〇〇〇年)のなかで、民族主義の思想が、明治維新を経て、国民の意識に代わられる過程をこう説明しています。

 列島に生まれた民族主義である攘夷思想はどんな経緯を辿ったのか。

自分達は平和に列島に暮らしてきた。少なくとも江戸期以降はどんな外国にも迷惑はかけていない。それなのに、欧米の列強が一方的に軍事的な威嚇をともなって、国を開けよ、という。そういう列強のほとんどは、非西洋の各地域を植民地化してきた閲歴の持ち主である。金銀の流出など、さまざまな形で不当な侵食がすでにはじまっている。自分達には何の非もないのに、なぜ、このような無礼、理不尽な要求に屈しなければならないのか。

 これは疑いようのない「正義」の思想である。しかし、これを貫くと外国勢力と衝突し、大規模な軍事衝突まで発展してしまうが、そこで完全に粉砕されてしまう。これを続ければ、理不尽なのに相手の軍門に下るしかなくなる。そこで、仕方がない。自分たちに「非」はなく、「義」はこちらにあるが、それはさておき相手との関係を作るしかない。ここまできて、「民族」の「正義」は遮断、切断されて、それに代わって「関係」の意識が人々を動かすようになる。そこで「国民」が生まれる。

 事実、列島に起こったのはそういうことだった。

列島に生まれた嬢夷思想の担い手のうち、もっとも強硬な西南の雄藩、薩摩藩と長州藩が、激しい嬢夷の行動に出て、列強勢力と軍事的に衝突し、完膚無きまでに打ちのめされるに及んで、列島にあって、誰よりも早く、「内在」の思想(=尊皇壊夷思想)から「関係」の思想(=尊皇開国思想)への転轍をとげる。こうして、民族を原理とするナショナリズムから国民を原理とするナショナリズムへの脱皮をいち早くなしとげた薩長南藩の元下級武士たちが、明治維新という近代革命の担い手へと育っていくのである。

 民族のナショナリズムを通そうと突き進んだからこそ、その突端で、それではことが進まないことを知り、そうであればこそ、そこから相手の国家との関係のなかで自分たちを決める国民のナショナリズムへの転向が起こる。自分なりの正しさで生きていこうとするが、他者との関係のなかではそれだけでは挫折せざるをえない。しかしこの挫折は必然的なものである。「薩長南藩の元下級武士たち」はその必然の過程を歩んだからこそ、「明治維新という近代革命の担い手へ育って」いったのである。


「奄美自立論」25

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