« 番屋のうに丼セット | トップページ | 左源太の見上げた木 »

2008/11/24

無限連鎖の差異化でもなく、なし崩し的同一化でもなく

 ぼくたちは、何か困難に直面したとき、自分や他人を慰めるのに、もっと酷い状況や人を想定して、あれに比べればまだましと言うことがあります。さもなければ、自分だけがひどい状況に陥っているようにみえるけれど、大なり小なりみんな同じなのだと合点するかです。困難のひとつひとつにいちいち立ち止っていたら生活が難しい。だから、この二つの態度には生きる技術としての知恵が詰まっています。

 しかし、困難の中身を吟味するとき、ここでの文脈でいえば、奄美が直面した困難を考えるときは別です。そのとき、あれに比べればまし、か、みんな同じと考えたら、途端に思考停止に陥ってしまうでしょう。そして確かに、「あれに比べればまし」と「みんな同じ」という判断は、奄美の失語を固定させてきたようにみえます。

 奄美が被った困難は、ひどいものなのか、それとも他愛ないものなのか、それはぼくには判断できません。またその程度をはっきりさせたいのでもありません。ぼくは、奄美の困難の固有の構造を掴み取りたいのです。それなしに奄美に何があったのかを理解することはできず、そうであるなら、他者と共有することもできないからです。比較はその後でできますし、また実のところその後でしかできません。


「奄美自立論」32

|

« 番屋のうに丼セット | トップページ | 左源太の見上げた木 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/43189196

この記事へのトラックバック一覧です: 無限連鎖の差異化でもなく、なし崩し的同一化でもなく:

« 番屋のうに丼セット | トップページ | 左源太の見上げた木 »