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2008/11/13

奄美は植民地だった

 奄美は二重の疎外を固有の困難として引き受けた地域である。ぼくはそう考えてきたが、それは一体、どういう地域だと言えばいいのだろう。

 たとえば、沖永良部島を対象に奄美のアイデンティティを深く追求した『境界性の人類学』で、高橋孝代は自集団への帰属意識であるエスニック・アイデンティティを説明するなか、「社会的に不利な個人の出自を隠し、ドミナント社会の構成員になりすますこと」を「パッシング行為」と紹介しているのを見て、ぼくは心が揺れました。自分たちのことが言われていると感じたからです。

 また、高梨修がこう書くとき、「二重の疎外」がもたらす歴史認識の型を知ることができます。

まず、沖縄県側からみるならば、一六〇九年以前の奄美諸島史は、琉球王国が奄美諸島を統治しているので、「沖縄県と共通する歴史(鹿児島県と相違する歴史)」として認識されるのである。しかし、一六〇九年以後の奄美諸島史は、薩摩藩が奄美諸島を統治しているので、逆に「沖縄県と相違する歴史(鹿児島県と共通する歴史)」と認識されるわけである。
 次に鹿児島県側からみるならば、一六〇九年以前の奄美諸島史は、琉球王国が奄美諸島を統治しているので、「鹿児島県と相違する歴史(沖縄県と共通する歴史)」として認識意されるのである。しかし、一六〇九年以後の奄美諸島史は、薩摩藩が奄美諸島を統治しているので、逆に「鹿児島県から離別される歴史(沖縄県と相違する歴史)」と認識されるわけである。
 それから鹿児島県側における奄美諸島史について、琉球王国統治時代以前の「鹿児島県と相違する歴史(沖縄県と共通する歴史)」とは琉球文化地域の歴史であり、「鹿児島県から離別される歴史」なのである。また薩摩藩統治時代以後の「鹿児島県と共通する歴史(沖縄県と相違する歴史)」とは植民地支配の歴史であり、「鹿児島県から封印される歴史」なのである。(「琉球弧をめぐる歴史認識と考古学研究」『琉球弧・重なりあう歴史認識』所収)

 ぼくはここで、奄美の二重の疎外を明快に語る言葉に出会えて胸躍ったのと同時に、ふたたび動揺するのを感じました。そして次の文章で、その理由にやっと思い当たりました。

奄美諸島の現代社会は、「鹿児島県」として歴史的・政治的に醸成されてきた特殊な社会構造の中に置かれている。植民地的領土化の結果、「鹿児島県」に帰属した奄美諸島において、その植民地的社会構造は完全に解体されたわけではない。形骸化しながらも、そうした社会構造は生き延びている。そして「鹿児島県」における植民地主義的意識も解消されたわけではない。無意識の植民地主義的意識は、「鹿児島県」に確実に生き延びている。

 二重の疎外を固有の困難として引き受けということはどういうことか。それはつまり、奄美は植民地だったということです。このことは、高橋がそれを主張しているわけでも高梨が明言しているわけでもなく、ぼくがここでの文脈に引き寄せて勝手に考えているに過ぎません。また定義に基づいて導いているわけではなく、自分の経験に照らしてやってくる納得感から受け止めているのですが、高橋と高梨の文章をたどってぼくにやってきたのはその気づきでした。

 奄美は植民地だった。

 考えてみればうかつなことです。ぼくはこれまでの、「日本は南島を喰らって近代化を果たした」、「南島を喰らって独立した」などと激しい表現をしてきたことがありました。にもかかわらず、奄美は植民地だったと受け止めて衝撃を受けたのです。ぼくは気づきたくなかったのでしょうか。しかし、それから改めて奄美をめぐる言説を読み返してみると、少なくない頻度で「薩摩の植民地政策」などの表現に出くわすのです。やはり、これまで受け止めたくなったのかもしれません。

 しかし、奄美は植民地だった。そう理解してみると、奄美の島人はなぜ鹿児島で出自を隠そうとしたことがあったのか、なぜ島の言葉を喋ろうとしないのか、なぜ鹿児島の中に形成した島のコミュニティで集うとくつろいでおおらかなのにふだんはそうではないのか。鹿児島には奄美と見るや、あからさまな侮蔑を加える人物がいるのはなぜなのか。とても威圧的なのはなぜなのか。奄美を直接支配した歴史に批判的な声がかの地で皆無に近いのはなぜなのか。県の歴史のなかで奄美の歴史が触れられることはほとんどないのはなぜなのか。与論では標準語を使いましょうと執拗に言われてきたのに、鹿児島では子どもたちも鹿児島弁をおおらかに喋っているのはなぜなのか。

 こうした体験的なわだかまりや疑問がまざまざと溶けていくのを感じました。謎が解けたというのではなく、また個々の原因を植民地に求められると考えるからでもなく、しかし、「奄美は植民地」だという背景を置くと、不可解な多くの事象に理解の触手を伸ばしやすくなるのでした。

 奄美は植民地だった。ぼくたちは植民地の民だった。それは衝撃的なことではあります。しかし、ひとたびはそう受け止めることが事態の意味を理解するには必要なことだと思えてきます。

 奄美は植民地だった。そう受け止めることで、ぼくたちはどんな理解を得られるでしょう。


「奄美自立論」24

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コメント

奄美は植民地だったんだ・・・・・・

というのを知った時

私の場合は
子供の頃からの疑問がぶわっっと弾けとんだ爽快感と
同時に強烈な悲しみに襲われました

何も悪いことしてないのになんで変な目で見られるんだ
と苦悩した子供時代がすごく空しく感じましたね

歴史を知っていればあんなに自分を責める必要も
なかっただろうに・・・・・・と思います

投稿: 琉邦 | 2008/11/13 22:53

琉邦さんにも、その瞬間があったんですね。
爽快感と悲しみ。たしかにその両方ですね。

知っている、忘れないって大事なことだなあと思います。みんなで語れる奄美の歴史があるだけで、島の元気もまるで違う気がします。

投稿: 喜山 | 2008/11/15 09:05

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