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2008/11/30

敗戦を通過していない 1

 奄美で復帰の父と呼ばれる泉芳朗(ほうろう)は、敗戦に際し、まさにその名の通りの「敗戦」という詩を書きます。

 敗戦

心裂け 肺腑(はいふ)煮えて
ただ霹靂(へきれき)の 涙啜(すす)るのみ
儼(げん)たる祖国のこの大事実
まさしくわれら敗れたり

聖戦と称へて恥づるなく
業火(ごうか)土を燋(や)き俗を燼(じん)にし
なは死生を超えて山河あるを念へるに
かなし われら及ばざりき

栄辱かけて一億一途
殺戮の業遂に極まれる日
皇紀二千六百五年八月十四日
われら唏(な)く 偉(おお)いなる過誤の果てに

あゝポツダム宣言受諾
国史の流底にすでに闇(くら)きピリオツド記し
故山声もなく晴れたり
よよとわれら喞(なげ)き欷(き)かんのみ―

 漢字は難しいですが、書かれていることは難解ではないと思います。敗戦に直面し、「まさしくわれら敗れたり」と悲嘆に暮れている。それがこの詩の位相だと感じられます。むしろ二重の疎外の延長線に立っていえば、戦争は、皇国民として「祖国の大事実」、「かなし われら及ばざりき」などと、「日本人」であることを疑念なく思える機会であったことを伝えてくれるようです。

 泉芳朗の知人でもあった高村光太郎は同じテーマで「一億の号泣」という詩を書いています。そこで、吉本隆明は、「鋼鉄の武器を失へる時 精神の武器おのづから強からんとす 真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ 必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん」という詩の末尾に対して、どうしてここで希望的な言葉が出せるのかという点について、「わずかではあるが」(『高村光太郎』一九七〇年)異和感を覚えたという。それに比べても泉の「敗戦」に希望的な言葉はどこにもない。「偉いなる過誤の果てに」の「過誤」が何を意味するのか分からないのだが、それにしても、戦争への疑念があるわけでもなく、皇国民としての悲嘆に染まっているように見えます。

 島

私は 島を愛する
黒潮に洗い流された南太平洋のこの一点の島
を一点だから淋しい 淋しいけれど 消え込んではならない
それは創生の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている
しぶきをかけられても 北風にふきさらされても 雨あられに打たれても
春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま
じっと荒海のただ中に突っ立っている

(中略)

南太平洋の一点 北半球の一点
ああ そして世界史の この一点
わたしはこの一点を愛する
毅然と 己の力一ばいで黒潮にいどんでいるこの島を
それは二十万の私 私たちの島
わたしはここに生きつがなくてはならない
人間の燈台を探ねて―
(一九四九年一二月)

 詩「島」では、奄美を「一点」として表象しているのが印象的です。それは、奄美を小ささとして捉えるのと同時に、奄美をひとつのまとまりとして感受しようとしている志向性を感じます。また、「一点」の他にも「一枚」「一ぱい」と、「一」に収斂する筆致は、天皇の行幸での昇曙夢の文章と同期しています。昇の「一」が天皇に収束しているのに対して、泉の「一」への傾斜は島への想いのなせる技に見えますが、「南太平洋」の広がりのなかで捉え、かつ島自体も「黒潮にいどんでいる」と、島尾敏雄のヤポネシアの呼び水になるような感受が走っているように見えるのが特徴です。「わたしはここに生きつがなくてはならない」という言葉も島の現実感に裏打ちされた力強さがあります。

 ただ、「人間の燈台を探ねて」という締めくくりが、泉の心もとなさを反映しているかのようでした。


「奄美自立論」35-1

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