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2008/11/23

強者の論理

(前略)理屈をつければいくらでも征琉の口実はできるのである。要するに戦国末期から近世初期にかけておこなわれた覇者の国家的統一事業の一環にすぎない。強者が近隣の弱者を食ったまでのことで、日本国中に弱肉強食がおこなわれて、結局徳川将軍による幕藩体制に組みいれられることになったのである。これまで同じ日本民族でありながら、南日本の琉球列島だけが中国の版図になっていたのが、慶長十四年の征琉の役以後、日本の統一政権下にはいったといえる。隣の飢えたる虎にもたとえられる島津藩に併合されたということは、琉球国にとっては耐えがたい苦痛であったが、もし征琉の役がなかったら、琉球は中国の領土として、その後の世界史の進展のなかでは、大いにちがった運命にさらされたであろうと思われる。(原口虎雄『鹿児島県の歴史』一九七三年)

 二〇年近く前、この文章を読んだときの衝撃をよく覚えています。いま読み返してみても度合いが減るだけで驚きに変わりはありません。このむきだしの強者の論理はどこからやってくるのでしょう。

 ぼくは内省のかけらもないこの論理を前に、原口虎雄のことを感受性が幕によって隔てられていると感じましたが、いまもその実感は変わりません。これが歴史家の言葉だというなら歴史とは一体何でしょう。感じられるべきことを全く度外視した強者の「口実」に過ぎないのではないでしょうか。奄美の歴史とは奄美に起きた事実の総和ですが、ここには奄美の事実は何もありません。これは「鹿児島県の歴史」だから奄美の歴史は圏外に置かれていると言うのかもしれませんが、しかしこんな接近法では、結局のところ薩摩の民衆の事実に手を届かせることもできないのではないでしょうか。

 原口は、名瀬市長から依頼を受け、奄美大島の郷土誌である『名瀬市誌』の編纂に携わっています。その上巻は一九六八年、中巻は七一年、そして下巻は七三年に世に出るのですが、驚くべきことに原口は、引用した『鹿児島県の歴史』を『名瀬市誌』の下巻と同じ一九七三年に出版しています。つまり彼は、『名瀬市誌』の編纂に携わり、奄美大島の郷土史家らとの議論や交流を深めながら、一方で『鹿児島県の歴史』には、「強者が近隣の弱者を食ったまでのこと」と書くのです。これを感受性の不在と言わずして何と言えばいいでしょう。

 原口にとって歴史とは、征琉のためにいくらでも「口実」の「理屈」を作った島津にとって以上に、口実と化しているのではないでしょうか。

 いま改めて読み返してみると、原口に不感症を許しているのは、「これまで同じ日本民族でありながら、南日本の琉球列島だけが中国の版図になっていた」という視点であることが分かります。しかし、「日本民族」という概念は厳密に定義できるものではありません。しかも琉球侵略当時、「日本民族」という概念はまだ存在してもおらず、薩摩の琉球侵略の結果、日本の版図に組み入れられたことが、「日本民族」の範囲と見なされる最大の根拠になったものです。かつ、琉球列島は、中国の版図である前に琉球王国という国家だったのであり、琉球王国として中国の冊封体制下に入っていたというのが正確な表現です。薩摩は他国である琉球を侵略したのであり、原口の言い方はその侵略性をお家芸の隠蔽で見えなくしてしまっています。

 そして最後は、「もし征琉の役がなかったら、琉球は中国の領土として、その後の世界史の進展のなかでは、大いにちがった運命にさらされたであろうと思われる」と、そこはかとなく脅しをかけてくるのです。こんな強者の言い草は、奄美をさらに失語に追い込むのに一役も二役も買ってきたでしょう。いったいどれだけの想いがこうした上から目線の前に沈黙を余儀なくされてきたでしょうか。

 薩摩の琉球侵略が無かったら琉球は中国になっていたかのような言い方ははなはだしい短絡です。これでは、琉球王国が自らの主体性によって歴史を創造しえた可能性は無視されてしまいます。よしんば当時の琉球王国の支配者の力量から推し量るに多難を想定せざるをえないとしても、そのことによって薩摩が、琉球、奄美になしたことを正当化できる理由には全くならないのは自明の理です。薩摩の侵略がなければ中国になっていただろうなどと、薩摩はその前に奄美に対して、「琉球ではない、大和でもない」と、何者でもないという関係性を強いておきながらいまさら何を言うのだろう。原口は自分が誰に向かって何を言っているのか、全く理解していないか頬かむりしてしまっています。こんな居直りによって薩摩の思想は、直接支配、大島商社、県令三九号、大島経済と、奄美を食い物にしてきた自らの歴史を直視せずに済ませてきたのであり、それが奄美の失語を、深刻さ加えて再生産し、明治維新以降の一世紀半以上にわたる薩摩の思想の停滞をも生んできたのです。最も身近な他者の失語によって成り立ち、自己批判の契機を無くした思想に、どうして進化などありえるでしょうか。

 ぼくたちはこの、すさまじい開き直りと思考停止と脅迫の論理を越えていかなければなりません。

「奄美自立論」31

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