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2008/11/15

近代化のために奄美がしたこと 2

 加藤の考えを辿り、ぼくたちは近代化の折れ目を知ります。そしてここから示唆を受け取ると、加藤の考えを補足できるのではないでしょうか。

 西南の雄藩のうち、薩摩藩について言えば、「少なくとも江戸期以降はどんな外国にも迷惑はかけていない」わけではない。薩摩は江戸期以降に琉球を侵略しました。そこで、相互交渉も何もない一方的な関係を強います。とても「どんな外国にも迷惑はかけていない」どころではなく、迷惑をかけたわけです。なかでも、奄美については直接支配し、植民地にしてきました。この植民地化がなければ、そもそも雄藩として列強と対峙することもままならなかったでしょう。薩摩は列強勢力と衝突しますが、彼らと同様、実は植民地を所有し琉球という他国支配も間接的ながら、経験を共有していました。薩摩は「自分達には何の非もない」とは言えない、それほど無垢な存在ではありません。

 薩摩は、民族主義を発揮して列強と衝突しただけでなく、植民地を持ち他国を支配しそれを行い、それではうまくいかないと得心したというのが正確な経緯ではないでしょうか。

 奄美と琉球は、薩摩に雄藩の仮称を受けるほどの資金を提供したというだけではない、近代以前に植民地所有と他国支配の経験を提供していたのです。奄美は資金と植民地経験を提供し、琉球は間接的ではあれ他国支配経験を提供し、それを梃に雄藩という以上に国家としての薩摩として列強に対峙し、打ちのめされたというのが、近代化のために奄美、琉球のしたことではなかったでしょうか。

 そしてこう考えると、奄美と琉球が資金と植民地所有と他国支配の経験を提供したことは、薩摩の国家幻想の強化に寄与しはしましたが、攘夷思想の挫折には充分に生かされなかったのではないかと考えられてきます。

 いやそこまでは仕方がない。西欧列強ですら植民地主義に内省をもたらすには、第一次世界大戦の経験を経る必要があったのだから、近代化の節目に、植民地主義ではうまくいかないという内省をもたらすには至るはずもない。確かにそうでしょう。植民地主義がうまくいかないことを知るには、他国から批判を受けるだけでなく、植民地側の反発を受け、植民地にも深刻な影響を与えることに気づき、これが自分たちのやってきたことかという内省をもたらして初めて植民地主義に挫折するでしょうが、近代化の節目はまだそこに至っていない。

 しかしそれでも言いうることとして残るのはこういうことです。薩摩は奄美という植民地を持った。でもそうしたことで、奄美は疲弊の限りを尽した。そしてそういう経験を近代以前に有していたのであれば、その後、欧米列強の後追いで植民地を持とうとアジアに進出していったとき、欧米もやっているからと無垢を装おうのではなく、いや実は日本は未経験なのではない、植民地所有経験を持ったことがあるとして、うぶな植民地主義の動きに抑制をかける可能性を持っていたことを意味しています。それなら、欧米のアジア植民地支配を食い止めるという大義名分も、別の含みを持つことができたのではないでしょうか。

 でもそれはなかった。どうしてできなかったのか。

 ぼくは、それは奄美に強いた二重の疎外とその隠蔽の核心のところで、薩摩は日本内部に対しても、奄美の植民地支配を隠蔽していた事実が深い影を落としていると考えます。それはどういうことか。日本に知られずに植民地支配を続けてきたということは、植民地主義に対する批判の契機を抜き取ることを意味するからです。それは他者からの批判どころから他者からの視線を受けることなしに、それこそ植民地を持ったという経験そのものが無垢のまま近代以降に持ち越され生き続けることになった。それが、日本の植民地主義に含みをもたらす契機を無くさせたのではないでしょうか。

 もうここまでくれば、ことはそれだけの話ではない。琉球は日本に編入を強いられ、アイヌは土地を奪われます。それに比べたらという視点もあるでしょう。しかし、ここでの文脈に従い奄美のこととしていえば、奄美の植民地経験は近代化の折れ目のなかで日本に共有される経験として浮かび上がることなく、従って日本の民族としてのナショナリズムが再び台頭するときに、それを相対化する有効な視線となって出現し機能することもなかったのです。

「奄美自立論」25-2

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