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2008/11/20

近代化の第三幕1・大島経済 1

 奄美は、薩摩の過剰な武士団を維持するための機関である大島商社に対し、拒否の意思を示しました。西南戦争により過剰な武士団の実体は消滅します。しかし、過剰な武士団の幻想は残りました。「士族救済」というお題目を失った幻想の過剰な武士団は、むきだしの資本主義となって奄美に雪崩れ込もうとします。それを薩摩外の企業の参入により相対化しようとした新納中三は解任されます。解任した渡辺千秋は、県令三九号で、「士族救済」のお題目もないのにしゃにむに奄美を食いつくそうとする南島興産による黒糖の独占化を図ります。つまり、南島興産の大島商社化を目論むのです。しかし当たり前ですが奄美はこれを拒否し、ようやく近代の曙光に立ちます。

 しかし、ことはそれでは終わらなかったのです。ぼくは二段階の抵抗を経て近代を迎えいれるはずの場面を考えると、モンスター映画などで全ての問題が解決されてみんなが安堵しているところ、登場人物たちに気づかれないように、次のモンスターが誕生するという、あの映画のエンディングのシーンを思い出します。事実、長期戦に及ぶ第三幕の種がここで撒かれていました。しかも今回は、これまでの丸田南里と西郷隆盛、渡辺千秋と麓純則のように、明確な対立構図を描きにくくなっていました。それが大島経済とカトリックです。

 渡辺千秋は、県令三九号の撤回を余議なくされた後、「大島郡経済分別に関する議案」を上程し、可決されます。奄美の経済予算は奄美で完結させるという、いわゆる〝独立経済〟です。一八八八(明治二一)年、県令三九号を撤廃したその同じ年に大島経済は開始されたのです。モンスターを倒したら次のモンスターが登場していました。しかも前のモンスターは倒すべき明確な実体がありましたが、次のモンスターは目に見えない、いつの間にか生気を削ぐようなやっかいな相手でした。

 ことは近代初期に遡ります。弓削政己の「初期明治政府の奄美島嶼に対する政策について」によれば、驚くべきことに、大蔵省には「大島県」という構想がありました。耳慣れないですが、「大島県」とは奄美を独立行政体と見なすことを意味します。

 ときは一八七四(明治七)年、大蔵卿大隈重信は、「大蔵省大島県ヲ設置セント請フ、大蔵省稟申」として大島県構想を打ち出しました。これは国家による大島商社対策であり、奄美に関する鹿児島県統治を排除する方針を示したものと弓削は捉えています。ちなみに高橋孝代の『境界性の人類学』によるとこのとき大蔵省は奄美を巡回調査しています。それによれば、「その風俗等頗る内地に異なる」とし、「然して男子の面色は一層暗黒なるが如し。男女の髪指は全く大島に同じ。その他頭上に物を載せ、徒跌にして歩するが如き」と、異族感たっぷりに書いています。

「奄美自立論」 30-1

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