« 左源太の見上げた木 | トップページ | 夜の夢しぼり »

2008/11/25

日本人になる―二重の疎外からの脱出 1

 奄美の島人は、二重の疎外をどのように解決しようとしてきたのか。

 それは、「日本人になる」ことでした。

 奄美は琉球ではない、大和でもない。そう言われて、「日本人」であるという選択肢をわらをもすがる想いで手にしたのです。それがどれほどの渇望と焦慮だったのか、その切実さは今のぼくたちには想像できないほどではないでしょうか。

 奄美大島でのことです。一九一五年(大正四)年生まれの大山麟五郎が小学一年生の時といいますから、まだ昭和になっていない時代のことと思われます。先生が、きっと大人になったらという前振りをしたのでしょう、「何になりたい」と聞いたときのことです。

三学期のおわりに先生が、各人のなりたい望みをききました。いとこの虎蔵君が「ドイツ人になりたい」と世界を相手に奮戦した国民の名をあげ、そののぞみが駄目とわかりしょげて坐ったあと立ち上った虎蔵君は、とてもとげられそうにもない高のぞみにおじけているふうに、実は「日本人ナリチャカリ(なりたいものよ)」というむねを申しでました。先生は虎蔵ののぞみがすでに達せられていることを説明してかれを有頂天にさせましたが、それだけでなく、このクラスの全員が男女の別なく日本人に相違ないことを宣言しましたから、さあ大変です。

 虎蔵君の幸運にあやかりたいみんなは、つきつぎに立ちあがって「ワンヤカイ? ワンヤカヤ?」(我はかや?)と叫び出し、先生はひとりひとりにその幸運を頒かちましたので、さっき「軍人になりたい」といっていた春子アセクヮ(姉っこ)も日本人志望に宗旨かえしました。申し出るかぎりの生徒の望みがことごとくかなえられたので、興奮のあまりみんなは机をドシンドシンと叩きまくり、もうそれ以上の授業はできなくなりました。先生が教員室にひきあげたあと、自分の名を名ざしで先生から日本人との確認を得た一年生たちが廊下にあふれ出し「ワンダカヂヤガ! ワンダカド!(我もぞよ)」とお互の幸運を誇りあっているそばを、ひとりの女の子が泣きべそをかいて「ハァグー(あゝ)ワンヤカイ? ワンヤカイ?」と救済にもれた者の不安にたえぬように小胸をかきなでながらうろついていました。生徒たちは、先生がみな残らず日本人だという普遍的救済を宣言しても安心せず、鉢から鉢に水を移すようにひとりひとりに託宜を授からなければ得心しないのでしたが、この子の番がまわってこないうちに先生が引きあげてしまったからの嘆きだったのです。

 ヤマトチュではないにしてもわれわれはみな日本人であること、も知らない学友たちの「非文明」を嘆くクラス唯ひとりの覚者であったわたしは、かの女も日本人なことを憂鬱のうちに保証してやりました。しかしその子は、先生の金口による許しでないので、なおも心もとなさそうなふうでした。(大山麟五郎「海の神と粟のアニマ」『沖縄の思想』一九七〇年)

 小学一年生の子どもがなりたいものとして「日本人」を挙げ、それを教師に保証されるとそれ以上は授業が進行できなくなるほど、子どもたちが興奮するという様子を、もうぼくたちは想像することができません。しかし、それほどの希求となって「日本人」は、なりたいものと化していました。言うまでもなく、これは二重の疎外による失語の深さを物語っています。

 「ヤマトチュではないにしてもわれわれはみな日本人であること」という大山の解説は、奄美の立ち位置を正確に素直に捉えていました。奄美とは、大和ではない日本、なのです。


「奄美自立論」33-1

|

« 左源太の見上げた木 | トップページ | 夜の夢しぼり »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/43189225

この記事へのトラックバック一覧です: 日本人になる―二重の疎外からの脱出 1:

« 左源太の見上げた木 | トップページ | 夜の夢しぼり »