« 自失としての復帰 2 | トップページ | 「ミューズの晩餐」の中孝介 »

2008/11/29

陳情嘆願書の精神的位相

 一九五一(昭和二六)年、奄美大島日本復帰協議会は、満一四歳以上の九九・八%の請願署名録に「陳情嘆願書」を添えて「総司令部、国際連合、極東委員会、駐日理事会等」に発送する。用意された全文草案を追ってみます。

 奄美群島(中略)の人民は、ほとんどすべて日本人と同一の祖先民族から出た子孫であることは、太古からの伝説や歴史上の記録がこれを証明しており、現にその言語・信仰・風俗・習慣・墳墓の形態などを全く同じくする点から見ても、この民族が日本人と血を分け合った同一民族であることが、はっきりと肯けるのであります。

 民族を同一視することによって「日本人」を主張する発想は、同年、「日奄同祖論」を唱えた昇と同型のものです。

 奄美群島は、日本の先史時代ならびに歴史時代から日本本土と密接なつながりをもっておりました。
 すなわち中世においては、西紀六百十六年に、時の大和朝廷は、奄美群島に使節を派遣しております。また近世においては、西紀千六百九年に薩摩藩の領地として、日本領土の重要な一部分とされており、その後四世紀半にわたって、完全な日本国土として、内外共に認められてきたのであります。
 西紀一八六九年の明治維新によって廃藩置県が行われてからは、鹿児島県の行政管下に編入されて、今日におよんでいることは、日本の行政的事実であります。

 薩摩の琉球侵略やそれに続く鹿児島県への編入は、「日本国土」の証として引用されることになる。痛ましいという他、どう言えばいいのだろう。このことにより、奄美は薩摩批判の契機を失い、薩摩は侵略と植民地支配への内省化を免れ原口の居直りを生むことになったのです。

 奄美群島は、三百年前に日本本土へ甘藷を移植して、日本の食糧危機を緩和したという歴史をもっており、さらに年々黒砂糖を送って、日本民間の食生活に貢献していることも、事実であります。
 また近代においても本群島の主要産物である黒砂糖、大島紬、かつお節などは、その需要先がすべて日本であるために、大島の経済も産業も日本と依存関係を離れては、絶対に発達しなかったのであります。

 奄美は受動的にしか自分を表現する術がないほど追いつめられていると言えばいいでしょうか。奄美を主体として打ち出せたなら、「本群島の主要産物である黒砂糖、大島紬、かつお節などは、その需要先がすべて日本であるために、日本の経済も産業も大島と依存関係を離れては、絶対に発達しなかったのであります」と言っても矛盾しないのです。あるいは、ここで奄美なしで日本は近代化しえなかったことを主張することもできたでしょう。そう言って、一笑に付すことなど誰もできなかったはずです。

(前略)被占領下における六年有余の経験を通して、奄美群島人民われわれは、日本との結合なしには、絶対に生きることのできない事実を痛感するに至ったのであります。
 われわれは、このような連合国の公正にして寛大な精神に信頼し、われわれ奄美民族二十二万の幸福と繁栄のために、われわれをわれわれの愛する祖国日本へ帰してくださるよう、ここに全人民の名において、ちゅう心から懇願申し上げる次第でございます。
 かりにも、奄美大島が日本から分離されるようなことがあるとすれば、それこそ二十二万余の人民は、不幸と絶望のドン底に突き落とされるものであることを充分に認識してくだされ、われわれの人道的、人間的自然感情を深く御諒解くださいまして、公正かつ寛大な御判断のもとに、われわれの血涙の悲願である日本復帰を、一日も早く実現させていただきますよう、幾重にも全人民の総意をもって、謹んで嘆願いたします。

 「日本との結合」、「愛する祖国日本」、「日本から分離される」ことがあれば、「不幸と絶望のドン底に突き落とされる」などの想いは、二重の疎外からの脱出口としての「日本人」がいかに切実なものになっているかを見てとることができます。

 思うに一九四六年二月二日発表された北緯三十度線以南の分離宣言こそは、われわれ奄美群島住民にとって、正に驚天動地の一大衝撃であり、民族としてはいまだ全く経験したことのない一大悲劇でありました。
 以来五年有余の間、幸にしてアメリカ合衆国の深い同情とその好意と恩恵の下に、物質的には大した不自由もなく生活することが許されたのであります。しかしながら一面私どもは、慈母の乳房から無理に引きはなされたエイ児のごとく、つねに祖国日本に対して限りない思慕の情をいだきつつ、深い郷愁の中に運命の無情を欺いてきたのであります。

 「分離」が、「民族としてはいまだ全く経験したことのない一大悲劇」などというのは、自己暗示ならぬ作為と化しています。でも、「慈母の乳房から無理に引きはなされたエイ児のごとく」などという比喩が使われているのをみると、この作為は責められない気がします。それだけ追い詰められていたと理解するしかありません。

 これは深い日本人意識の表明ではなく、それがいかに自明ではないかを示すものです。ぼくたちは、二重の疎外による奄美の空虚感の深さをここに見るのです。


「奄美自立論」35

|

« 自失としての復帰 2 | トップページ | 「ミューズの晩餐」の中孝介 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/43263827

この記事へのトラックバック一覧です: 陳情嘆願書の精神的位相:

« 自失としての復帰 2 | トップページ | 「ミューズの晩餐」の中孝介 »