« タラソテラピーに精神安定効果!? | トップページ | 大島紬の二人三脚 »

2008/11/03

直訴・脱島・一揆 1

 一七三六年八月の夜、栄文仁、能悦、喜志政の三人は、「百姓多人数」を引き連れて、徳之島の南の浜辺から一艘の舟を繰り出します。針路は南、目指したのは「本琉球」でした。本琉球に向かったのは、首里を目指してのものか、琉球の在番奉行を目指してのものかは、「徳之島前録帳」には書かれていません。けれど、薩摩へ直訴する場合、他の例を見ても進路を北に採っているので、これは琉球王朝の首里を目指したものと考えられるのではないでしょうか。つまり、薩摩の圧制を本琉球に直訴する。そういう狙いだったでしょう。一七三六年は、「大島規模帳」の出された直後のころ、奄美は琉球ではない、されど大和でもないという規定が構造化された時期ですが、それでも、島役人が冊封使をもてなすために首里に赴くこともあり、島人にとっては、薩摩支配下ではあるものの琉球王国の存在も確かなものだったのです。

 しかし翌日、事態を知った与人が代官へ急報。代官は探索隊を編成し、栄文仁一行を追います。当の栄文仁らは風を避けるために隣の沖永良部島に着岸。そこへ探索隊の舟も追いつき、説得の末、栄文仁らは徳之島に戻ります。

 ことは遂げられず、早々に幕は引かれたように見えますが、「徳之島前録帳」にはこう書かれています。

 右栄文仁は勇気不敵の者、喜志政、能悦は強力者にしてこれあり

 これは、あの「大島代官記」序文の島役人とは違う筆致を感じさせてくれます。しかし、三人の消息についての記録はここにはなく、ぼくたちは島唄でそれを知るのです。名越護の『奄美の債務奴隷ヤンチュ』では、能悦節が紹介されています。

 栄文仁と能悦と喜志政と
 なーみちゃり(彼ら三人)
 島のことじゅんち(島のことをしようとして)
 トカラからいもち(トカラに行かれた)

 三人は吐噶喇列島に遠島されたのだろうということを能悦節は教えてくれるのですが、ここに三人の名前が刻まれているのが印象的です。ことは未遂で終わったとしても、このエピソードにぼくたちは解放感を感じないでしょうか。もしそうなら、それはこの直訴の行為が、二重の疎外の解除をモチーフに含んでいるからだと思えます。

 徳之島の抵抗の流線は、南へ伸びるだけではありませんでした。北への流線もあったのです。

 一七五七年、徳之島から一七〇〇人もの島人が夜、大島へ渡りました。脱島です。脱島はことの他、重たい意味を持っていました。それは、許可のない他島への渡航を禁じられていたという以上に、島は世界であり宇宙であるという完結感を持っているので、脱島は世界を捨てることを意味しており、隣町に移るというのとは訳が違いました。徳之島から与路島へは二七キロメートルの近さとはいえ、その距離は隔絶感があったはずです。そう考えれば、これはふつうありえない事態でした。

 こういうことが起こるのには、相当な理由があるはずです。それは徳之島を襲った飢饉です。実は一七五七年の二年前の一七五五年には、三二〇〇余人もの餓死者を出していました。一七五三年の徳之島の人口は、二万二四〇〇人といいますから、三二〇〇余人の餓死は、島の七人に一人が餓死したことになるのです。当時の世帯人数は分かりませんが、犠牲者のいなかった世帯は少なかった。そういう規模ではないでしょうか。島全体を疲弊と悲歎が覆ったに違いありません。脱島は飢饉と餓死を背景に起こっているのです。

 しかしそれでことは終わっていません。脱島者は後を絶たず、薩摩はたびたび大島から徳之島への連れ戻しを試みています。その背後にも飢饉があり、それだけでなく、台風、疫病などの災害が徳之島を襲いました。災害時には、救米を借り入れる記録が残っていますが、それがあっても脱島が止まなかったのは、救米が足りなかったことを意味しているのでしょう。

 一七五五年 米五〇〇石(琉球)、米三〇〇石(薩摩)
 一七六二年 米・粟一八〇石(琉球)
 一七六三年
 一七七三年 米一八〇石(琉球)
 一七七四年 米八〇〇石(薩摩)
 一七七七年 米五〇〇石(琉球)
 一七八一年 救米(薩摩)、寄元米(琉球)
 一七八二年 
 一七八三年
 一八一四年 米九〇〇石余(薩摩)、米四五〇石(琉球)
 一八一六年 下米(倭)、春粟五〇石(琉球)

 薩摩だけでなく琉球からも救米が出ていることに、栄文仁たちが引こうとした琉球との関係線が途絶えているわけではないことを教えてくれるが、それ以上に、このおびただしい頻度に目を奪われるのではないでしょうか。一七五五年だけでなく、一七六二、三年にも飢饉があり、一七六六年から一七七二年には台風、疫病が続いたことが記録にはありますが、こうした打撃が徳之島の不断の脱島の背景にあったのです。


「奄美自立論」17-1

|

« タラソテラピーに精神安定効果!? | トップページ | 大島紬の二人三脚 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 直訴・脱島・一揆 1:

« タラソテラピーに精神安定効果!? | トップページ | 大島紬の二人三脚 »