« 屈服の論理 2 | トップページ | コトの収奪とモノの収奪 »

2008/10/24

「琉球侵攻を心からお詫びし、政治家として罪を償わなければならない」

 『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』は、時の思潮の流行が乱舞するではなく、基地と経済、うちなーんちゅ対やまとぅんちゅの二項対立が再生産されるというのでもなく、生々しい沖縄の実像が迫ってくる。それに関する限り、沖縄言説を覆うという「過剰な空虚」からは一線を画した中味だ。

 その生々しさは、「歴史は夜、作られる」として、その「夜」が語られていることから来るようだ。そして「夜」語られることだけあって、池澤の言う通り、居酒屋で聞くような話だ。居酒屋の夜の話は、過剰な記号が飛び交わない代わりに、虚実が織り交ぜられてくる。佐野の話が眉唾ものだと言うのではない。佐野の浴びる言葉が虚実混淆になるしかない。そういうことだ。

 なにか、久しぶりに大柄な線の太い人物像を読んだ気がする。ある意味で、昭和の読み物を読んでいるような。言い換えれば、切った張ったの、この手の読み物を作ろうとすれば、いまでは沖縄を舞台に設定するほかなくなったということかもしれない。

 しかし、ぼくたちは紛れもなく、昭和以降の世界に生きている。

 沖縄をめぐる言説で、すっかり色槌せてしまったのは、〝沖縄独立論〟である。
 左派沖縄耽溺者のパイオニアともいうべき竹中労が、政府なき国家と党派なき議会と官僚なき行政を、すなわち幻の人民共和国を琉球弧の上に夢想して、冒頭に挙げたように情熱的かつ純情に語ったのは、沖縄の本土復帰一カ月の一九七二(昭和四十七)年四月である。
 それから三十有余年。沖縄人は本土人の慣習に完全に同化した。いま沖縄一の盛り場の那覇・国際通りを歩いても、浅黒い肌、濃い眉、つぶらな目、ゆたかで粗く剛い髪の毛をなびかせた南国風美少女に会うことは、めったになくなった。
 若い男女がツクダ煮にしたくなるほどごった返す国際通りの風景は、まだオムツくさい小中学生が色とりどりのファッションで着飾って昼も夜もあふれる東京・渋谷のセンター街に紛れ込んだようで、〝異国情緒〟を感じることは困難である。
 「国家」の思想的〝立ち位置″を決定するのは、そこで暮らす若者たちの風貌姿勢と、彼らをつき動かす風俗流行である。
 沖縄でそれを象徴するのが、すっかり〝脱琉球化〃した面立ちの若者たちが行き来する国際通りのたたずまいである。特徴的だった彼らの顔だちから、男も女もくっきりと濃い輪郭線が消え、どこにでもあるつまらない風景のなかにぼやけはじめた。
 本土復帰に伴う日本馴化の急速な進行は、かつて竹中労が熱っぽく語った琉球讃歌を時代遅れの言辞と化し、〝沖縄独立論″をほとんど世迷い言同然の死語とさせた。

 しかし沖縄、特に那覇の「脱琉球化」は、「日本馴化」ではない。都市化である。仮に沖縄独立で那覇が都市化していったとしても、異国情緒は失われるだろう。「浅黒い肌、濃い眉、つぶらな目、ゆたかで粗く剛い髪の毛をなびかせた南国風美少女」は、日本化ではなく都市化の賜物であり、都市化だから世界普遍性を持つ。変なたとえだが、都市化だからこそ、知花くららはミス・ユニバースの舞台に立つのである。

 解釈、理解ではない。この本からは、沖縄の骨太な事実を、事実そのままに受け取るのがいい。

Okinawasano

















   『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』

 ◇◆◇ 

 ところで、奄美という視点からみた瞠目すべき記述があった。

すでに四百年も昔の歴史であるとはいえ、過ちは過ちである。政治家として、また島津の血をひく鹿児島の人間として、知らぬ顔で過ごすことはできない。そういう気持ちが強かったから半世紀前、衆議院議員として国会に登院して以来、沖縄の人たちに琉球侵攻を心からお詫びし、政治家として罪を償わなければならないと考えてきたのである。

 にわかには信じられない言葉だった。これは鹿児島出身の政治家、山中貞則のものだ。

 信じられない。琉球侵略について、薩摩の政治家の口から謝罪が飛び出しているのである。よく知られたことなのだろうか。薩摩の共同意思の代表者を任じる者たち、あるいは彼の地の知識人の口から、薩摩の琉球侵略を内省した言葉を聞くことはなかったのではないだろうか。少なくともぼくは皆無だった。皆無のケロリだった。

 本当だとしたら、この山中の言葉は巨大な意味を持つ。
 ただ、奄美の視点からして、気になるのは、ここにいう「お詫び」が沖縄に向かっているとして、それなら山中は奄美に対しどういう態度を採ってきたのだろう。それがひどく気になる。残念ながら、ぼくは山中の述懐した手記の全部を知らない。山中が、仮に奄美にも同じことを言えたとしたら歴史の画期だと思える。それを知りたいと切に思う。

 奄美の視点からしたら、この山中の言葉と出会えただけで、もう充分に価値があった。書物は、何を書くかが重要だけれど、何を引用するかも重要な意味を持つらしい。


|

« 屈服の論理 2 | トップページ | コトの収奪とモノの収奪 »

コメント

あんた しつこい。
誰も読まないのに 何真剣に馬鹿みたいに奄美だ沖縄だ与論だと語っているんだ。しかもあんたの意見なんて何も無いじゃないか。他人の著作引用ばかりでしょ。人のフンドシでブログを書くな。
このサイトにリンクするな。迷惑。酔っ払いの某ブログとあんたのブログは与論情報発信の恥。迷惑。やめてくれ。

投稿: funaki | 2008/10/24 22:34

いつも,楽しみに読ませてもらっています。
私は奄美出身(キャーッチュ:喜界人)ですが,喜山さんの言説に共感します。二重の疎外は,奄美の本質的問題点を鋭く突いていると思います。ただ,この意識はかならずしも近世からというわけではないように思います。うちの明治生まれの祖母は,「首里に行きたい」と言い,手のはづきを誇らしげに語っていました。明治までは意識としては琉球だったんだろうなと思われますし,自分の文化をあるがままに受け入れ,誇りに思っていたように思います。明治以降の学校教育や本土での就職の際の文化的違和感,経済的格差などが,一部の知識人を中心にして脱奄美(=脱琉球)への動きとなり,結果的に二重の疎外感を作ったのではないかと感じています。苗字を変え,言葉を捨て,本土では出身地を隠し,子供にはシマの歴史や文化,自然を教えず・・・。その結果が,奄美の人間なのに,奄美を語れない(もちろん大和人にもなれるわけない)よるべきアイデンティティを失った人々を作ってしまったように思います。今後とも,いろんな意見を聞かせてください。
コメントを書かずとも,大変共感し,いつか奄美に恩返しができたらという気持ちを強く持たせてくれる,大好きなブログです。応援しています。
ちばりんそーりよ~!(キャーユミタ:喜界方言にて)

投稿: shimanchu | 2008/10/25 01:04

shimanchuさん

コメントありがとうございます。
おっしゃること、そうだなと思いました。うまく表現できていませんが、近世期は共同体の課題、近代になって個人の課題になった。近世に感染し近代に発症した(このたとえ、あんまりよくないですね)と思います。

先人の書いたものを読むにつけ、奄美の知識人の責任は重いなぁと感じています。

「『首里に行きたい』と言い,手のはづきを誇らしげに語」っていいですねえ。与論にもまだハヂチのある方いらっしゃいます。

ぼくは残念ながら喜界に行ったことがありません。でも、与論の人が喜界に行って帰ってくると、「島も人も与論と似てた」とにこにこしていることがよくある気がします。それって何でしょうね。同じ低島だからですかね? 大きな島の隣だからですかね? いつか喜界を訪ねたときに、「似てる」中身を感じたいと思っています。

それから、喜界人をなんというのか知りたかったのですが、キャーッチュっていうんですね。ありがとうございます。キャーッチュって響きいいですね。未来的な感じがします。

また喜界のこと奄美のこと教えてください。


投稿: 喜山 | 2008/10/25 08:48

ネットを散見していて立ち寄り幾つかの論考を興味深く読ませて頂きました。私は奄美の名瀬の出身ですが与論も沖縄も訪れたことのない情けない奄美人です(笑)。先ずはご挨拶のみで失礼しますが、また立ち寄らせて頂きたいと思います。

投稿: アカショウビン | 2009/08/29 07:39

アカショウビンさん

アカショウビンさんは、アカショウビン通信のアカショウビンさんですか?(変な聞き方(笑))

時々、読んでいます。コメントいただき、嬉しいです。

投稿: 喜山 | 2009/08/29 09:27

 >アカショウビンさんは、アカショウビン通信のアカショウビンさんですか?

 ★そうです。

 >時々、読んでいます。
 
 ★私のブログは喜山さんのように焦点を定めない分裂症的(笑)ブログですが、時々お読み頂いている、とは嬉しい限りです。今後ともよろしくお願い致します。

投稿: アカショウビン | 2009/08/29 12:35

アカショウビンさん

アカショウビン通信は、ブログタイトルに惹かれて読み始めました。そして広くて深い思索に感じいっています。

投稿: 喜山 | 2009/08/30 09:47

喜界もとくんしまもむかいじま(カケロマ)もエラブも沖縄も行ったことがあります。みんな高校の同級生のシマです。
ただ私は大学時代奄美のことで鹿児島人の同級生と口論になったことがあります。
いつまでも400年間の農奴時代、侵略されて薩摩藩に統治された恨み節だけ言っても喧嘩にしかならないことを知っています。
実りある進歩のある話をしなければ意味がありません。
かつてあった「大島県」奄美県の構想について再考したほうがいいのでは?

投稿: あましん | 2010/05/21 02:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/42891555

この記事へのトラックバック一覧です: 「琉球侵攻を心からお詫びし、政治家として罪を償わなければならない」:

« 屈服の論理 2 | トップページ | コトの収奪とモノの収奪 »