黒糖換算
少し前、前田長英の『黒糖悲歌の奄美』を参照して、黒糖、砂糖きびの量と畑の面積の相互の換算表を作成した。(「一反から一万斤の砂糖きび、六百斤の黒糖」)
それはこの記述をもとにしたものだ。
それにしましても、黍地割賦法で割り当てられるきび作付面積はあまりに広く、たとえば夫婦二人に十三歳以上の女子と十六歳以上の男子をかかえる四人家族では、その割り当て面積は四反(約四千平方メートル)にもなりますし、しかも作るさとうきびが反当たり一万斤(六トン)が普通だと言いますから、その手入れだけで精いっぱいのはずなのに、よくも他の作物を作る余裕があったものだと驚くほかありません。(『黒糖悲歌の奄美』前田長英、著作社、1984年)
ところが、『名瀬市誌』を見ると、「一畝四〇斤」、一反当たりにすれば四百斤で換算している。前田の換算より少ない。
松下志朗の『近世奄美の支配と社会』には、幕末・維新期の「大島の黍地と産糖額」の表が出ている。それによると、この時期の黍地の面積は、2295町、そして出産砂糖の平均は、897万斤。これをもとにすると、一町当たり391万斤になる。
そうすると、一反当たりに四百斤が近い値になる。この実態には、不作などの年も含んだ平均であり、前田の一反当たり六百斤の換算は、良作のときの値と考えればいいのかもしれない。一反当たり六百斤とすると、2294町では、1377万斤となるが、明治1年の出産砂糖は、1505万斤で、一反当たり六百斤を越える産出額になっている。
砂糖きびから黒糖がいくらできるかを換算した「百六砂糖」のように、面積から割り出す言葉が定着していないのは、良作、凶作の幅が大きく、だいたいいくら獲れるという共通認識が育ちにくかったからかもしれない。
ここでは、実態に近づけて、今後は、一反当たり四百斤で考えていくことにしたい。
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