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2008/10/09

二重の疎外の顕在化とその抵抗、年表

 近代初期の奄美の歴史を概観しておこう。二重の疎外の顕在化とその抵抗の経緯だ。

1872年(明治5年)
・県は「大島商社」をつくり、奄美黒糖の独占を図る。

1873年(明治6年)
・大蔵省は、「勝手売買」(黒糖の自由売買を認める)を通達
・前年の県の動きは、大蔵省の動きを察知してのもの。ここに西郷も関与している。
・大蔵省の通達を、鹿児島は奄美には伝えず。

1875年(明治8年)
・海外から奄美に帰った丸田南里が抵抗運動を組織化。
・「勝手世騒動」

1876年(明治9年)
・南里ら上鹿し、直接県に嘆願するも拒否される。

1877年(明治10年)
・55人の陳情団が上鹿。しかし全員、谷山監獄に投獄される。
・35人が、西南戦争に従軍させられる。

1878年(明治11年)
・県は、独占専制商社「大島商社」を解体。

・デフレ政策により多くの商社が倒れ、奄美の産業は疲弊。

1885年(明治18年)
・大島支庁長に新納中三(にいろちゅうぞう)を抜擢。
・鹿児島商人の独占を打破するため、大阪の阿部商会に進出を促す。
・鹿児島商人、反発。

1886年(明治19年)
・新納支庁長、突然、解任される。
・阿部商会、亡き丸田南里の家を借りて、経済活動を始める。
・鹿児島商人、南島興産商社をつくる。
・阿部商会に、暴徒、行政から圧力がかかる。

1887年(明治20年)
・県令39号を発布。阿部商会、締め出し政策。

1888年(明治21年)
・県令、島民の怒りを買い、撤廃。
・県議、麓純則の訴え、実る。
・大島、独立経済開始。

1889年(明治22年)
・喜界島の県令の反対運動リーダー田中圭三、警察に拘束される。
・農民たちは怒り、派出所に押し寄せる。「喜界島凶徒聚衆事件」
・7人が逮捕される。

1890年(明治23年)
・岡程良、鹿児島では公正な裁判ができないとみて、長崎で裁判。無罪を勝ち取る。

1891年(明治24年)
・岡程良の要請を受けて、カトリック教会のフェリエ神父が来島。

1892年(明治25年)
・岡程良、佐賀に異動。佐賀で神経衰弱。36歳で死亡。


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