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2008/10/25

コトの収奪とモノの収奪

 「琉球ではない、大和でもない。だが、琉球にもなれ、大和にもなれ」という二重の疎外とその隠蔽を一身で引き受けるには、自分を人形のような空っぽの器のように見なさなければなりませんが、事実、その結果、「大島代官記」の序文に見られるような、薩摩史観をそのまま移植されたような思考の収奪を生んだことを、ぼくたちは目撃しました。

 この二重の疎外とその隠蔽は、一六二三年の「大島置目の条々」によって「琉球ではない」と規定され、その約一世紀後の一七二八年の「大島規模帳」では、「琉球ではない」が改めて強調されると同時に、「大和でもない」と規定されたのです。

 そしてそこに覆いかぶさるように、冊封使が訪れた機会や漂着の時に、「だが、琉球にもなれ、大和にもなれ」という隠蔽を強いられたのでした。

 ところで、「大島置目の条々」の時には、もうひとつ重要な規定がなされています。それは、「楷船は作らないこと」を命じられたことです。「楷船」は「大型船」のことで、奄美の島人は大型船建造を禁じられたのです。これは、海を道と見なす海洋の民としての奄美の島人の自由を著しく奪うことになったでしょう。奄美の島人はこの規定により、各島々に封じ込められました。ぼくたちは、この「楷船は作らないこと」という規定が、「琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を強化するように働くだろうと予想することができます。大型船により、疎外のもたらす境界を越えて行けるなら、疎外はいつも緩和される契機を持っただろうからです。

 こうして、奄美の固有の困難である二重の疎外とその隠蔽は、薩摩侵略後一世紀余の時間をかけて構造化されていきました。

 そしてその後、奄美を待っていたのは、よく知られた黒糖収奪です。

 黒糖収奪は二つのメルクマールで押さえることができます。それは、一七四五年の換糖上納制であり、次に一八三〇年の第二次惣買入制です。換糖上納制は、年貢を「米」ではなく、「黒糖」で納めることを定めたものですが、これによって奄美の主たる生産物が黒糖になります。そして、第二次惣買入制は、割り当てられた土地で生産される黒糖を全て納めることを定めたものですが、これによって黒糖生産は絶対化されていきます。

 奄美の黒糖収奪というモノの収奪は、黒糖地獄と呼ばれるなどして、よく知られています。しかし、ぼくたちは付け加えておかなければならないのは、黒糖というモノの収奪の前に、二重の疎外とその隠蔽というコトの収奪が行われていたことです。そしてことによれば、モノの収奪は、コトの収奪の延長にあればこそ、首尾よくことを運んだと言えるのです。コトの収奪の結果、薩摩史観に思考を収奪された島役人が生み出されたとすれば、それによってモノの収奪は容易になったと言えるからです。モノの収奪の際、島役人は、奄美内薩摩として島人からの収奪に大いに預かったのでした。

コトの収奪
 一六二三年 「大島置目の条々」 「琉球ではない」
 一七二八年 「大島規模帳」    「大和ではない」

モノの収奪
 一七四五年 換糖上納制      黒糖の主生産物化
 一八三〇年 第二次惣買入制   黒糖の絶対化


「奄美自立論」9


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