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2008/10/24

屈服の論理 2

 紙屋敦之の「薩摩の琉球侵入」(『新・琉球史 近世編』一九八九年)によれば、謝名は、幕府が琉球の属国化を目論んで、大和に漂着した琉球船を琉球に無事送り届けたお礼の使者を送れという「聘礼(へいれい)」の要求を拒否し、また薩摩が大島の割譲を要求したのも拒否しています。薩摩の侵略に際しては、娘婿を徳之島の守備隊長として派遣し、自身も薩摩の軍勢の人数に匹敵する三千人を率いて出動しています。また、尚寧と他の三司官とともに、薩摩に連行された際も、秘かに明へ救援を要請しようと試みます。
 
 その後、尚寧と三司官は起請文を提出させられます。起請文は、琉球は古くから薩摩・島津氏の属国だったとこと、琉球は豊臣秀吉時代の朝鮮出兵の義務を果たさなかったから壊されたが、恩により再興されたと認めさせたものでした。謝名は起請文を拒否してその当日、斬首されてしまうのです。

 ちなみにこの起請文、誓う内容より誓う対象である神仏の列記の方が長く、優に二百は超える神仏を書き連ねています。ぼくたちにも耳馴染んでいるものでは、「藥師如來」や「三藏法師」などもありますが、およそ琉球の王にとっては初耳のものも多いに違いなく、これらを書かされた揚句、背いた場合はライ病にかかり日々夜々病苦が止むことはなく、八寒八熱の阿鼻叫喚の地獄に落ち、未来永劫、浮かび上がることはないなどと書かされているからおぞましいものです。

 とはいえぼくは謝名の態度が尚寧や他の三司官に比べて誇るべきものだと言うのではありません。生き残ってこそ後世に伝えられるものもあれば抵抗できることもあります。けれど謝名の、一貫した薩摩抵抗の態度は心を動かされます。大島割譲を拒否した点など、ぼくは恩義すら感じます。謝名はスケープゴートにされたに過ぎません。ぼくたちは、謝名の筆誅を解くべきではないでしょうか。

 「嘆かわしきは、禍は自ら招くというのは疑いなく、故に天のなせる禍は避けられるが、自らなせる災いは避けられない」と、「大島代官記」の序文はありますが、真に嘆かわしいのは、完璧に思考を薩摩史観に収奪された島役人のほうだと言わなければなりません。やられちまったんだなあと、つくづく思います。

 序文のなかで、この書き手が奄美の人間であることを教えてくれるのは、「今では昔を慕うことは無益というものであろう」という末尾の箇所です。もともとの書き下し文では、「今に於いて往古を慕うは無益と云々」となるところです。そして、「大島代官記」の序文において、最も重要なのもこの末尾の部分です。この島役人は、仮にも奄美の知識人をもって任じるのであれば、ここで「云々」と口ごもるべきではなかったのです。彼はここで、「往古を慕う」記述を書くべきでした。もちろんこれは「大島代官記」であり薩摩の役人も目を通すものであれば、自由な記述が可能であったということはありません。琉球王朝を慕う記述が可能ではないでしょうし、またぼくはそれを書くべきだと思うわけでもありません。

 この島役人ができたことは、奄美の記憶を書くことでした。「云々」で終わらせずに、「大島代官記」の許容する範囲内で、奄美のことを知恵を振り絞って書くべきだったのです。そうすることが、どれだけ後世の奄美の島人を励まし、時勢へ抵抗する力を生み出したかしれません。この序文が書かれたとする一六六九年から一七〇九年の間は、ときあたかも、旧家の文書を写しに至るまで提出させられた時期と重なります。つまり、文字としての奄美の記憶が収奪されたのがこの時期なのです。無くなるものと踵を接して新しく書く、それがこの序文の記述としての背景でした。それであればなおさら、この島役人は、「云々」で終えてはいけなかったのです。

 そうできなかったところで、奄美の屈服は決定的になりました。この、奄美の島役人の思考収奪は、二重の疎外とその隠蔽が生んだものであり、ここからぼくたちは、いずれ島役人と家人という階級分化が起こるだろうことも見通すことができます。また、薩摩批判に向かうべきところでそれができずにその分も過剰に琉球を批判するという思考の型は、近代以降も奄美に残る屈折として長くぼくたちを煩わせることになったのです。ここに、奄美知識人の屈服と屈折があります。


「奄美自立論」8-2

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