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2008/10/25

『海南小記』を読む。第30回

 福さんのお誘いを受けて、酒井卯作さんの沖縄民俗懇話会「『海南小記』を読む」に参加させてもらった。

 今回はもう第30回目だそうで、テーマは『海南小記』の終盤、といっても実際は「海南小記」の連載とは別に雑誌に寄稿された「与那国の女たち」だった。

 吉本隆明は、柳田國男の文章について、一行のなかに後世の研究者が生涯を費やすような見識が詰まっているという評言をしたことがあるが、酒井さんは「与那国島の女」の小文をゆっくり辿りながら、柳田がどんな想いでどんな考えでこれを書いたかを解説してくれて、短い文章のなかに宿っている思考や感情がたちのぼってくるのを味わうことができた。

 こんな芸当は、解説する人にそれだけの蓄積があってできることだ。話をお聞きしながら、ぼくは与那国島の人の姿が彷彿としてくるいような気がしてきた。それは、与論の島人に似ているようでもあり、またどこかで異貌を放っているようでもあった。

 でも、いちばん印象に残ったのは、柳田は男性の来客にはつっけんどんだったが、女性の来客にはすこぶる丁寧に対応したというエピソードだった。それと、日常の小さな出来事を離れて民俗学はありえないという酒井さんの主張と。その通りですね、と思う。

 学問だって人の想いが生かしいてる。そうなんだなあと感じ入るひとときだった。世知辛く冷たい風が吹く世間のなかで、よいひとときをいただきました。福さん、ありがとうございます。


Okibunken

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コメント

去年、宇検村にいったとき、宇検村では「ゆいまーる」と「ゆいたぶ」というといってましたが、与論島では何といいますか。

投稿: 松島 | 2008/10/26 10:45

「海南小記」ではありませんが、柳田の遺作となった「海上の道」。
こんなサスガ!な書評を見つけましたよ。ご参考になりましたら・・・。
ワン自身は(ここにもでてきます)赤松啓介の「非常民の民俗」に傾いてはいますが。
          ↓
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1144.html

投稿: さでくまっちゅ | 2008/10/26 14:34

松島さん

与論では、「ゆい」だと思います。
お袋は、「ゆいたばー」とも言うと話してました。
宇検とのつながりも感じますね。

投稿: 喜山 | 2008/10/26 22:37

さでくまっちゅさん

松岡さんの書評、ありがとうございます。
「漂着」への着眼はどこかロマンチックですよね。とはいっても、奄美の近世をみても、漂着は珍しくないわけです。奄美の民もそのいくぶんかは漂着由来になるのでしょうか。すごいなあと思います。


赤松啓介の本も読んでみます。

投稿: 喜山 | 2008/10/26 22:42

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