« ハブナイス麺 | トップページ | 二重の疎外の顕在化とその抵抗、年表 »

2008/10/08

『苦い砂糖』 2

 この二段階(「『苦い砂糖』 1」)でめでたしめでたし。残念ながら、そうはならなかった。
 よくホラー映画やSF映画などで一件落着のあとのラストシーンで、次の悪が生まれているシーンを垣間見せて次回の事実上の予告となっている作品がよくあるが、奄美の幕開けはその映画のエンド処理を思わせる。

 渡辺千秋は、県令39号の撤回を余議なくされた後、「大島郡経済分別に関する議案」を上程し、可決される。奄美の経済予算は奄美で完結させるという、いわゆる“独立経済”である。これについては、奄美に本土並みの税負担を強いるのは忍びないから、島嶼独自の発展をするためにという観方と、一種の切り捨て政策であるとする観方がある。ぼくは、「奄美に本土並みの税負担を強いるのは忍びない」というのは、責任回避の論立てだと思う。そもそも、奄美を疲弊の極みに追い込んだのは、幕藩制l期の植民地支配なのだから、それが終わったのであれば、その責任を薩摩は取らなければならない。それがあるべき論の立て方だと思う。でもそれは無かった。あるのは、近代以降も生きる二重の疎外の論理だった。ここで、二重の疎外の「大和ではない」という規定は、「日本ではない」あるいは「本土ではない」として機能し、放置プレイ、無視を決め込んだのである。

 この独立経済は、半世紀も続く。渡辺とはいったい何者だろう。奄美は、この二段階の抵抗のあと、独立経済のなか、とことんに疲弊の度合いを深めていったようにみえる。なぜなら、このあと皇国民へ容易に取り込まれ、次に奄美から声が聞こえるのは、復帰運動のときなのだが、もうそのときは、丸田や麓の声に見られるような抵抗の力強さは消えてしまっているからだ。この疲弊が根底から回復するまでぼくたちはどのくらいの時間を費やすればいいのだろう。

 ぼくたちはもうひとつ、独立経済だけでなく、奄美近代黎明期のひと駒を挙げておくべきかもしれない。新納、麓を先達に持った法律家、岡程良のことだ。岡は、南島興産がらみの事件で鹿児島側の不正を暴くが、それによって佐賀に転勤という鹿児島的な郷中放しに合い、倒れる。しかし彼はその前に、空っぽになった奄美へカトリックを紹介し、それは瞬く間に北部奄美の精神的支柱になってゆく。これもまた、第二幕のあとに続く奄美の近代以降の物語にとって重要な役割を果たすものになった。

◇◆◇

 原井の奄美論は読みやすかった。ここには奄美論がその宿命のように身にまとうあの屈伏と屈折から免れているからだと思う。もちろん、原井は当たり障りなく軽く通過しているのではない。むしろ逆である。奄美の宿命を最深度で捉えようとしている。

薩藩時代の圧政の怨念は晴らされることなく、徳之島での百姓一揆も解放に繋がらず、明治のありがたいご一新の世も旧慣から抜け出し得なかった。
 ようやく立ち上がった西南戦争前後の島民闘争の勝利も期待した方向に流れず、明治二十年になってなお大半の島民が借金を背負ったままだった。
 一向に報われない島民の苦闘史を振り返ると、あるいは祖先の備え持った誠実性や勤勉性が体制に十分に見透かされ掠めとられて、解決を遠のかせたとさえ思ってしまいたくなる。
 人のいい島人。そうあり続けることの善し悪しをどう考えるべきか。

 原井の奄美論は重いけれど読みやすい。それはこうした問いの形が真っ当だからだと思う。この問いを受ければ、原井のような言論があるなら、ぼくたちは「人のいい島人」がそのままで自由と平等と相互扶助できる道について考えていく意欲が湧いてくる。

 原井はあとがきに書いている。

 奄美の歴史書に目を通して、まず心に突き刺さるのは「徳之島で餓死者三千人」といった記事があまりに簡略に提示されていることだ。悲劇はそれだけにとどまらない。繰り返し繰り返し、執拗に島々を襲ったおぞましい災厄が淡々と感情なく綴られている。
 おびただしい死者の群れをなぜもっと告発する、怒りや悲しみが表現されないのか。そのいちいちに付き合っていては歴史が見通せないとでも言うのだろうか。本書を書き進めることになった動機はたぶんそんなところからだったように思う。

 もう一つ、奄美の歴史研究はこのところ多様、重層的に解明が進んで、私たちは欲すれば幕末はもとより中世までも気ままに旅が出来る。
 だが事件や人物伝を播いてもその時代時代や主人公の生涯に限定され、たとえば丸田南里が躍り出た明治初期とその遠因になった幕末の島の状況、あるいは南里以降の島民のレジスタンスやサトウキビ作との関わりを一体的に把握するのは困難極まりない。
 加えて専門書の表現はどうしてこうも、と思うほど難解で回りくどく読むのに骨が折れる。
 そうした現状に一石を投じ、中高校生でも読み親しめる奄美の歴史物が書けないか、とうのものねらいの一つだった。

  だが振り返ってみて果たして目的は果たせたかと考えると心もとない。私が紙数を費やしてやってきたことと言えば『名瀬市誌』を始め多くの研究家の成果を丸写し、引き伸ばししたにすぎない。( 『苦い砂糖』)

 原井は最後、謙遜しているけれど、原井のしたことは丸写しや引き伸ばしではない。同じことを書いてあっても『名瀬市誌』を読めば憂鬱になるが、『苦い砂糖』を読めば励まされるということはありうる。それは、「徳之島で餓死者三千人」という記述があまりにお澄まし顔ではないかと原井が憤るように、原井の書く奄美近代は、登場する人物が血が通っていると感じられるからだと思う。

 それに、『奄美の債務奴隷ヤンュ』を読んだときも感じたことだが、ぼくたちは何度でも奄美の歴史を繰り返し語る必要があるのだと思う。ほとんど語られてこなかったのだから。奄美の人にとって、自然な血肉となるまで、ぼくたちは語りの質をあげていかなければならない。

 ところで、黒糖の味と硬度は糖汁に入れる石灰で決まる。石灰が多すぎると硬く苦い砂糖になり、少ないとそもそも固まらないが、書名の『苦い砂糖』は、石灰の多すぎた黒糖のことではない。文字通り、甘い黒糖が苦い砂糖でしかなかった、奄美の思いを託したものだ。けれど、作品としての『苦い砂糖』は、表紙が輝くように、奄美の語りの層を力強くしてくれていると思う。



 

|

« ハブナイス麺 | トップページ | 二重の疎外の顕在化とその抵抗、年表 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『苦い砂糖』 2:

« ハブナイス麺 | トップページ | 二重の疎外の顕在化とその抵抗、年表 »