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2008/09/05

「異国から『異国』へ」2

 琉球侵略の目的ほ、家康・幕府にとっては琉球の来聘実現、島津氏にとっては大島の獲得であった。島津軍は、一六〇九(慶長一四)年三月四日薩摩の山川を出港し、途中、大島・徳之島を平定して二五日沖縄島に到着、四月一日首里城を落とした。五月五日、先島(宮古・八重山諸島)の帰順を確認して一五日、中山王尚撃をはじめ三司官そのほかを捕虜にして那覇を出帆、二五日鹿児島に凱旋した。  家康は琉球を島津家久に与えた。翌年、家久は尚寧を伴って駿府、江戸に参府した。ここに琉球の来聘が実現した。九月三日、二代将軍徳川秀忠は家久に対し、「琉球ハ代々中山王ガ国ナレバ他姓ノ人ヲ立て国王トスベカラズ」、「家久ニハ琉球の貢税ヲ賜」る旨を命じた。中山王の改易禁止は、幕府が琉球に対し明との宗属関係を認めたことを意味する。それは琉球に対明講和交渉を行わさせるためだった。(『幕藩制国家の琉球支配』紙屋 敦之 、1990、歴史科学叢書

 琉球の改易を禁止した。改易というのは、琉球の城や所領を没収してしまうことを指している。つまり、完全に薩摩藩領となることを意味しただろう。

 一六一一(慶長一六)年九月、島津氏は琉球支配の方針を明らかにした。第一に、沖縄島ならびに慶長間諸島・伊平屋島・伊是名島・伊江島・渡名喜島・粟国島・久米島・八重山諸島・宮古島で八万九、〇八六石を首里王府領として与え、大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島は島津氏の直轄地とした(大島領有の実現)。第二に、首里王府が毎年納めるべき頁納物を定めた。第三に、綻十五ヵ条を定め、琉球に幕藩体制の支配秩序を押し付けた。第四に、尚寧・三司官に起請文を提出させ、醇珠が古くから薩摩・島津氏の「附庸」國だったこと、琉球は、豊臣秀吉時代の「与力」の義務を果たさなかったため、このたび破却されたが、御恩により再興されたことを認めさせた。

 こうしてみると、琉球が明との交易関係を維持してきたことが、幕藩体制に完璧に組み込まれず、島津から改易を受け、島津の所領にされてしまうのを防いだのだった。

 しかし、幕府からの改易禁止の命を受けながら、琉球を維持させるのを隠れ蓑にするように、奄美の直轄領化は実現してしまう。この、国家権力の命をどこかで自己利益のために捻じ曲げるのは連綿としていて薩摩的だと思う。ぼくたちはそのあからさまな起源をここに見ることができる。



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