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2008/09/13

同胞という視点は無かった

  『名瀬市誌』は、近世人が近代的視点を持っていたかのように捉えているところに、違和感を抱かざるをえない。

 琉球を強大な海外勢力との緩衝地帯に提供し、その犠牲において、「平和」や「利益」や「体制の維持」を偸(ぬす)む発想は、何も第二次大戦以後のものではない。まがうことなき同胞に対するこのような裏切り行為を、「日本ノ瑕ニマカリ成」らざるものとして自らに納得させるためには、琉球を「下知領ではあるが異国」として、演出することが必要であった。薩摩の場合にはそれに加えて、貧しい自己領内における隷属的な農民を下層とする極端な階級体制を維持するために、そのまた下層に琉球人を配置し、「カンジン(乞食)とジキジン(琉球人)の真似はすんな。」という蔑視意識を領民に滲透させること、琉球人を国内少数民族として扱うことが要請されていた。(『名瀬市誌』)

 「同胞に対するこのような裏切り行為」は、第二次大戦以後について言うことはできるが、その認識を近代以前に当てはめることはできないと思う。琉球はもともと異国だったものを「下知領」にしたのに対中国貿易を維持するために「異国」とせざるをえなかったから、清から辮髪や胡服を要求されるのが「日本ノ瑕」(きず)と感じるのは、近世的な虚勢というもので、「自らに納得させるために」などという心理的な合理化を図ったものではない。同じように、薩摩領内の農民が琉球の島人に蔑視意識を抱いたのは、西郷をはじめ奄美に訪れた薩摩藩士が奄美に行った蔑視から学んだもので、少数民族として扱ったからという観念操作の結果ではない。

 『名瀬市誌』の作者のいう「同胞」は、日本人という意味だと思えるが、そのような意識は近代を待たなければならないもので、同胞なのに侵略した、同胞なのに蔑視したとみなすのは、近代的視点を近世に持ち込む逆向きな視点なのである。同胞と見る視点はなかったのである。

 同胞という観点が生まれて後も「琉球を強大な海外勢力との緩衝地帯に提供し、その犠牲において、『平和』 や『利益』や『体制の維持』を」図るのをぼくたちは目撃するが、それは近代に始まったことではなく近世期もそうだった、とは言えるが、今の観点で近世期の人も捉えていたとみなすのは倒錯である。




 

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