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2008/09/29

「百六砂糖」

 あの砂糖きびから黒砂糖はどのくらいできるのだろう。恥ずかしながら知らなかった。

 正徳三年(一七一三)の砂糖買い上げ高は、時の大島代官酒匂太郎左衛門の日記によると「百十三万斤ヅツ年々御買入レ」とあるそうです。
 砂糖は普通「百六砂糖」と言って、百斤の生きびから六斤の砂糖が得られるので、これから計算しますと百十三万斤の砂糖を得るための生きび量は二千万斤近くになります。普通一反の畑の生産量は生きび一万斤ですから二千万斤の生きびを得るには二百町歩を要します。(一斤は六〇〇グラム)
 元禄八年から正徳三年までのわずか十八年間で二百町歩のさとうきび植え付け地が出来たのですから、かなり急速な伸びです。(『黒糖悲歌の奄美』前田長英、著作社、1984年)

 「百六砂糖」、というのだそうだ。砂糖きび1kgから黒糖60gができるという、6%の抽出率である。ここにある単位では残念ながらピンと来ないので、変換していくと、2000万斤は、12000トン。1町歩は、約9917.4平方メートルというから、200町歩は、約198万平方メートルで、1.98平方キロメートル。これは、約1.4キロ×1.4キロの大きさになる。1.4キロ四方の畑から12000トンの砂糖きびが収穫できる。

 これでもあまり実感が湧かないので、自分に引き寄せると、与論島の大きさは20.5平方キロメートルだから、200町歩は、与論の約10分の1になる。なるほど、それは大きい。

 砂糖の代価は米に換算されました。享保十三年(一七二八)の物定帳によりますと砂糖一斤は米三合五勺に見練られています。
 その後宝暦十二年一七六二) に五勺を減じて米三合替えになり、第一次砂糖惣買い入れ制が解除になった天明七年一七八七)に砂糖一斤と米四合替えになりました。
 更に、寛政十年(一七九八)また三合二勺四才となり、天保元年の第二次惣買い入れ制実施時に三合替えになりました。
 このように島で作った砂糖の買い上げ値は、三合から三合五勺、天明七年から寛政九年(一七九七)のわずか十年間lだけが四合になっていますが、砂糖は当時貴重品であり、大阪市場での砂糖・一斤の値は、たえず米一升から一升五合前後を維持していました。
 薩摩藩はこのように、道之島の砂糖を極端に安く買い上げ、大阪市域に運んで暴利を得ていたのです。

 砂糖一斤
 =米三合五勺  1728(34年間)
 =米三合     1762(25年間)
 =米四合     1787(11年間) 
 =三合二勺四才 1798(32年間)
 =三合       1830

大阪

 砂糖一斤
 =米一升=十合
 =米一升五合=十五合

 砂糖一斤を、薩摩は奄美から、米三合から四合の割合で買い上げている。それを大阪市場に持っていくと、米十合から十五合と交換できた。

 つまり、

十合/四合=2.5倍
十五合/三合=5倍

 薩摩は、大阪では2.5倍から5倍の値段で取引をしていたことになる。西郷が「5倍の商法」と言っていたのはこのことを指している。


(『黒糖悲歌の奄美』前田長英、著作社、1984年)


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