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2008/09/02

二重の疎外とその隠蔽、年表

 備忘のため、二重の疎外とその隠蔽について、年表に整理しておく。

<琉球ではない><大和ではない><琉球にもなれ><大和にもなれ>

1606 大島侵略計画
1609 琉球侵略
1611
・(琉球の範囲から除外)
1613
                                     ・御掟之条々(琉球の大和化)
1614 幕府の対明政策、失敗
1617
            ・(琉球人の日本の髭、髪形、衣装を禁止)

1623
・「大島置目条々」琉球の鉢巻を取ることを禁止
1624
・蔵入地確定    ・「定」(琉球人が日本名をつけ日本人のなりをすることを禁止)
1633
                         ・冊封使、琉球へ
1634 琉球石高を計上。幕藩体制への強制的組み込み
1655 幕府、琉球と清との冊封関係容認。「不治を以治」。
1663
                         ・冊封使、琉球へ
1681 薩摩、琉球の邪儀に加担しないと誓約
1683
                         ・冊封使、琉球へ(日本人、宝島人を偽装)
1699         ・道之島人が大和と紛らわしい名前や髪形にすることを禁止(喜界島代官)
1706
・旧家より所蔵する系図・文書・旧記録の提出
1711
1719
                         ・冊封使、琉球へ(日本人、同席せず)
1728
            ・「大島御規模帳」大和化の禁止
1742
                         ・大島の大和浜へ漂着。琉球送還の薩摩船は「宝島船」。
1756
                         ・冊封使、琉球へ
1768
                         ・大島船、唐へ漂着。「諸書付けを焼捨て、大島人の所持する京銭を海中へ沈め、武具は隠し首尾よくすんだ」
1773                                 
                                     ・中国に漂着した薩摩船に、沖永良部島民二人。島民たちは月代をさせられ、「登世村」「嶋森」という名も「村右衛門」「嶋右衛門」となる。
1790
                         ・沖永良部島民が朝鮮に漂着。「琉球国中山王」の支配下の者であると主張し、寛永通宝も琉球の銭であると言い張った。
1800
                         ・冊封使、琉球へ
1808
                         ・冊封使、琉球へ
1838
                         ・冊封使、琉球へ
1844
                                     ・奄美はトカラ支配
1868
                         ・冊封使、琉球へ

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