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2008/09/17

「島津氏の琉球入りと奄美」 3

 『名瀬市誌』の「島津氏の琉球入りと奄美」には、ひとつの特徴というか傾向がある。

 当時、海上貿易の集散地としての那覇港は、中国・南洋朝鮮および日本の商人が群がる国際都市となっていた(東恩納寛惇「琉球の歴史」)。日本の商人とは、博多・兵庫・堺等の商人である。薩摩商人が勢力を得るのは、博多・兵庫商人よりおくれ、島津氏が琉球との関係を密にするにつれて、進出していったものと思われる。このような状況の中で、関連あるいは関心のある西国の大小名が、琉球支配をねらうのは当然であった。(『名瀬市誌』

 それは、大和勢力による琉球侵略を必然とする見方だ。馬鹿に分かりがいいのだ。

 慶長十四年二六〇九)の島津氏の琉球入りをさかのぼる八十三年前の永正十三年 二五一六)、備中国蓮島の住人三宅和泉守国秀は、琉球を襲撃しょうとして、兵船十二隻をもって薩摩の坊ノ津に碇泊した。島津忠隆は、幕府に連絡して、これを誅殺した。それから約二十年後の天文のはじめ、国秀の党類三宅三郎兵衛等は、ふたたび琉球を討とうと企てた。この時島津の国老は、琉球に書を送って、先年国秀を刑殺したので、京都と義絶するに至り、あまつさえ日本三津の一である坊ノ津港を破損するに至った。いままた国秀の一類の渡船計画があるが、たとえ将軍家の下知があっても、当方で許さない上は、渡航させることはないから、琉球においては憂えなきようにと告げている。(県史)。

 侵略必然の理解の過程のなかでよく引用されるひとつに、三宅国秀の琉球襲撃を未然に薩摩が防いだとする事件がある。薩摩が、琉球に恩を着せる出来事のひとつとして挙げてきたもので、奄美論のなかでもよく取り上げられている。

 ところが、

寧波の市舶司の閉鎖後、島津貴久の老中が琉球の三司官に一五三三(天文二)年九月一六日付の書状を送り、先年備中国蓮島の三宅国秀が琉球遠征を企てたが阻止した、いままた三宅一党が琉球遠征を企てているが、たとえ将軍家の命令による遠征であろうと島辞氏が許容しなければ渡航させない、日本からの便蓮を阻止できるのは島津氏だけである、と述べている。これがいわゆる三宅国秀事件であるが、この事件は田中健夫氏が諭証されたように島津氏が捏造した虚構の事件であった。(『幕藩制国家の琉球支配』紙屋 敦之 、1990、歴史科学叢書)
   ぼくはまだ田中健夫の論考を実際に確認したわけではないが、これまで三宅国秀事件が史実として扱われている奄美論の文脈を踏まえると、驚くべきものがある。捏造と言われると、さもありなんという納得感があるが、もしそれが事実だとして、ぼくたちは5世紀にわたって騙されづけてきたことになるのだ。
 三宅残党事件からさらに五十年下ると、日本は秀吉による民族統一の時期を迎える。戦乱遠い南海の別天地琉球もその波動の中で対馬の宗氏のように、直接豊臣中央政権下の一諸侯たりうる機会が近ずくが、その機会を利用するにはあまりに無能であった。

 その三宅事件を援用する形で、「島津氏の琉球入りと奄美」のもうひとつの特徴もしくは傾向が現れる。それは、琉球王国に無能の裁断を下すことだ。やけに手厳しいのだ。

これについて起こった秀吉のいわれのない朝鮮侵入は、琉球の本土接近の気運を遠ざけた。

 こういう真っ当な認識は、琉球に対しても当てはまるものだとどうして思わないのだろう。琉球にしても「いわれのない」侵略であると、どうしてみなさないのだろう。少なくともそうした観点がありうることに配慮がないのだ。これも推し量れば、琉球は日本であるということが、書き手の先験的な理念となっているため、「いわれ」はあると判断しているとみなすほかない。

 もし琉球が、島津氏を介さずに、直接中央の豊臣や徳川政権下の一諸侯となる道を選んだら、もっとも失望するのは島津氏であったろう。したがって、島津の努力は、一貫して本土との関係での琉球がわの自主的な行動を制限し、自らを琉球の保護者的仲介者として売り込む-琉球に対しても、他に対しても-ことを、目ざしている。そして、尚真王以来かもし出されてきた無気力無策のために、第二尚真はまんまとこのわなにはまりこんでいったようである。

 薩摩の琉球侵略へのわかりのよさと琉球王国の政策への手厳しさは、バランスを取るように認識の両輪をなしながら、そこに書き手の認識も貌を出してくる。どうやら書き手は、琉球が、豊臣や徳川政権に直接、訴えて一大名になればよかったと言っているのではないだろうか。そしてここまで辿ってきたぼくたちは、この見解が、日本ナショナリズムという書き手の理念から出てきているのを理解する。


 「島津氏の琉球入りと奄美」 1
 「島津氏の琉球入りと奄美」 2


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