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2008/09/22

『大島規模帳』が読みたい

山田尚二編『大島規模帳』
                                  山下欣一

 大和村国直の盛岡家文書を発見され、これらを整理して逐次発表されたのは、当時の大島高校教諭で現在県明治百年記念館建設準備室に勤務しておられる山田尚二氏であった。山田氏が在地土豪の分析をされ、いわゆる「ユカリッチュ」の位置づけをされたことは、奄美の郷土史の研究に一大時期を画したといえるのであった。あの新鮮な視点と方法での問題提起が期せずしてまき起こした論争は、奄美の郷土史がその市民権を獲得し始める萌芽であったといえよう。

 山田尚二氏の業績のなかの一つが、『大島規模帳』の刊行であった。本書は、従来、幻の書といわれていたが、江戸時代初期、中期の大島統治を知る上で不可欠の文書である。本書は享保十三年(一七二八)に『大島用夫改規模帳』、『郡奉行物定規模帳』とともにまとめられたものであるが、これを国直の与人前武仁が嘉永年間に筆写したものの復刻である。

 大島統治についての為政者の心得を事細かく記載して、代官はじめ島役人に至るまで、その参考に利用したもののようである。いうなれば、その当時の『行政必携』とでもいうべき書であった。逆に、このような文書から、当時の奄美の状態を知るてがかりになる事柄が多くある。

 まず、内容は、代官、付役の心得を述べることから始めているが、この中には、一貫して、代官、付役などの自分勝手、または、自分の利益をのみはかってはならない点を強調している。このことは、島へ下り、役人になれば、一財産を作ることができたという事実を裏書きしている記事であるといえよう。島の人々の生活には不必要なものを沢山持って行き、与人や下役に頼んで渡し、それと引き替えに砂糖穀物諸色を取る方法で利益を得るものがいるというのである。

 このようにして、『大島規模帳』を仔細に検討していくと興味尽きないものが多くあるのに気づくのである。たとえば、目についたものを順次あげてみることにしよう。
 島の人には日本人の容姿をさせてはならない。日本人の名前をつけることは停止。成人以後にかみそりを当てることも禁止である。このようなときに鳥人と日本人とを区別して記載しているのは注目していい。

 また、この他、病人が出たときに、牛馬を殺してユタが祈願すること。神の山、ケンモンタマリなどといって、竹木を立てて田や畠を荒してはいけないこと。打目祭(収穫祭)が済まないと、米を刈り取り、上納しないというので、今後は初穂米だけ残して、その他は上納すること。女どもが神にかかりたることで奇怪なことを企てるのは禁制であること。また赤ひげせ取り他所へ出してはいけないというようなことまで、事細かく記述してある。

 このようにみてくると、本書は、歴史学的史料のみならず、民俗学的観点からしても、十分検討に値する史料であるといい得るのである。(一九六五年、私家版)
『奄美学の水脈』

 『大島規模帳』にいう「規模」とはどんなニュアンスを持つのだろう。「規模」を辞書で調べると、

(2)手本。規範。

 という意味が出てくる。これですね。大島の規範を記したものということだ。

 それにしても、二重の疎外の決定打となる『大島規模帳』を読んでみたい。


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