白と青のあいだに
与論島に心惹かれるのは、出身地、生まれ島だからという以上の意味があると常々思っているし、それが手に負えないので悩みの種にもなるのだけれど、
こんな風な紹介をされるのを見ていると、旅人も同じところで心奪われてるんじゃないかと思えて嬉しい。
それは、海の青と砂の白のあいだの色の多彩さだ。
めぐみさん(「スローライフしながらRICH」)やちゃくれさん(「ちゃくれの写真倉庫」 )は、それを“与論ブルー”と呼んでくれているが、ああ、そういえばいいんだと思ういいフレーズだ。
ずっとずっと昔から、与論ブルーが心を捉えて離さない。
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コメント
初めて与論島の海を泳いだときは感動いたしました。
部活の大会の後で、夜でしたが
岩場が少なく、砂が真っ白で綺麗だと思いました。
白い砂浜と、月と星が映った海は幻想的で
今でも眼に焼き付いています。
沖永良部出身の自分でも綺麗だと驚くくらいですから
旅人はもっと驚く事でしょう。
ところで、沖永良部では沖縄で言うところの
大和人(ヤマトゥンチュ)を旅人(タビンチュ)って言いますが、与論島はどうなのでしょうか?
投稿: 琉邦 | 2008/09/05 22:35
琉邦さん
ほめてくださりありがとうございます。
ええ、与論でもタビンチュと、そういいます。
前は、永良部でもそう呼ぶのを知らなくてこんな風に書きました。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2007/04/post_89a9.html
永良部の方には、本土に行ってしまって帰らない島の人をタビンチュと呼ぶんだと聞いたことがあります。確かに、与論でもそんなニュアンスで使われることもあります。やはり、そうですか?
投稿: 喜山 | 2008/09/06 09:56
そうですね、島にほとんど帰らない人は確かにタビンチュと同じ扱いに感じました。
私の周りでは、島外に出ても多少でも交流があれば、けしてタビンチュとは呼ばなかったですね。
私の兄が島に寄り付かない人なのですが、親戚からはタビンチュと同じ扱いになっています。
私が読んだ「沖永良部島の社会と文化 著:鹿児島県立短期大学地域研究所」では旅人を以下のように定義されていました。
①旅で生まれ、旅の文化が染み付いた人
②島で育ったが、旅で25年以上住み、旅の文化が染み付いた人
子供の頃より、年寄りが主に使うこのタビンチュという言葉は不思議に思っていました。
鹿児島県なのに、鹿児島の人をタビンチュと呼ぶ。
でも、奄美諸島の他の島の人や、沖縄の人はタビンチュとは言わなかったのですから。
投稿: 琉邦 | 2008/09/06 14:57
琉邦さん
> 鹿児島県なのに、鹿児島の人をタビンチュと呼ぶ。
> でも、奄美諸島の他の島の人や、沖縄の人はタビンチュとは言わなかったのですから。
こういう意味ではやはり、タビンチュはヤマトゥンチュの言い換えなんでしょうね。
この言い換えのセンス、ぼくは好きです。エラブ-ユンヌ的だなと思います。
それにしても「25年以上」という定義が面白いですね。
②島で育ったが、旅で25年以上住み、旅の文化が染み付いた人
ぼくは2に該当しているかもしれません。
旅の文化が染み付いている、けれど島の文化も忘れていない人、なんですけどねえ。シマンチュに入れてほしいですね(苦笑)。
投稿: 喜山 | 2008/09/06 16:29
タビンチュって言葉には
今でも琉球圏の人たちを仲間と思う気持ちと
本土の人も旅の人として受け入れたいという複雑な気持ちが
込められているんでしょうね
私の場合は①に当てはまります
中学途中までは鹿児島で育って、変な目で見られるのが耐えられなくなって島の学校に通う事になったんですが
すでに旅の文化が染み付いていたので、島の文化にもまた馴染めなかったですね
でも、いつか帰るべき場所は島だと思っています
島の人は私を島人として迎え入れてくれた
のが今でも忘れられないですね
琉球文化の勉強をしているのも
いつか帰る時に受け入れてもらえるように
という気持ちからだと思っています
少し話題を変えますが
本土復帰運動の影響からか
沖永良部のおじさん世代以降では
日本人であることを必要以上に美化する
傾向があります
なのに、本土の人を怖がる傾向もありますが
与論も似たような感じでしょうか
投稿: 琉邦 | 2008/09/07 22:59
琉邦さん
程度の差はありますが、
>日本人であることを必要以上に美化する
>傾向があります
>なのに、本土の人を怖がる傾向もありますが
似たものだと思います。
つくづく思うのですが、
奄美は、日本人になりたい、みなしてほしいという焦慮のあまり、敗戦の意味を受け取り損ねています。
敗戦の意味というのは、天皇と日本人の相対化です。
それは依然として奄美の課題だと思っています。
>島の人は私を島人として迎え入れてくれた
>のが今でも忘れられないですね
よかったですね。ぼくもそうされるときは、とても嬉しいです。
投稿: 喜山 | 2008/09/08 08:59