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2008/09/21

遠い記憶を呼び起こすような懐かしさ

 中孝介のコメント。

歴史的に見ても琉球、薩摩、アメリカなどから絶え間なく抑圧を受け、虐げられながら奄美の人は生活を守ってきた。

 「中 孝介」

 若い世代が歴史を踏まえた奄美の自己紹介をできるのはいい。読んでそう感じたのだけれど、もう一回見てみると、ちょっとステレオタイプな気もしてくる。「琉球、薩摩、アメリカ」の並置に違和感が湧いてくる。

 ぼくの感じ方では、「琉球」は抑圧の屋根の意味にはならない。「琉球」といえば、ぼくは言葉や地勢や基層の文化の共通性からの親近感を覚えるのだが、中の言う「琉球」はきっと王国のことを指しているのだろう。それなら、琉球王国は奄美大島に攻め戦闘を持った経験があるからだ。中の感じ方もぼくの感じ方も一般化はできないけれど、奄美は北部から南部にかけて、「琉球」への感じ方が抑圧から親近感へ、王国から文化へと変わってゆく。

 けれどそのことを斟酌しても、中のコメントが中自身の言葉というより、奄美でそう言われてきた言葉だと受け止めると、違和感があるのは、この三者のなかで抑圧が突出しているのは圧倒的に「薩摩」であり、しかもそれは「薩摩-鹿児島」という流れで現在も続いているといえばいえるほどのものだからだ。「アメリカ」は、敗戦から復帰までのことだと思うが、それは8年間のことであり、現在も抑圧が続いているかもしれないが、それは沖縄への強度が強く一般化すれば日本全体のことに関わってきて奄美だけのことではなくなる。

 最近、奄美論を多く読んだ悪影響を受けているのかもしれないけれど、奄美論の系譜(たとえば、「島津氏の琉球入りと奄美」)を踏まえていえば、「琉球、薩摩、アメリカ」と並置するのは、「薩摩」と名指さないためのカムフラージュではないかと思えてくる。

 でもせっかくの中のコメント、半畳を入れたいわけでない。次の「そうした『陰』の部分が強い音楽だけど、遠い記憶を呼び起こすような懐かしさが心の琴線に触れてくると思う」という台詞は響いてくる。彼自身の言葉だ。奄美の陰影を刻んだような表情もいい。



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コメント

コメントありがとうございました。
本当に島が生きているというのは実感です。太平洋諸島なども含めていろんな島々を歩いてきましたが、島ごとに感じるものが違います。人は生活していますが、生命力が感じられない場所もあります。

投稿: 松島 | 2008/09/21 15:44

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