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2008/08/25

収奪の永続化と抵抗

 大島商社の設立と解体が、砂糖収奪の永続化とそれへの抵抗の最後の舞台ではなかった。

 一万、商人同士の争いもあって騒然としていた世相であった。その代表的な争いが南島興産商社と阿部商会の抗争である。奸商から島民側を守ろうとする新納支庁長と、南島興産商会側擁護の渡辺千秋県知事が対立。新納支庁長は突然解任され、一八八七明治二十)年四月に「砂糖は鹿児島商人以外に売ってはならない」という「県令第三九号」の知事通達が出た。このため、阿部商会は商いができず、店じまいして引き揚げてしまった。これに憤慨した県議の麓純別は有志らとはかって「県令三九号撤廃」 の運動を起こして、発布からわずか一年でこれを撤回させている。

 渡辺知事はさらに奄美にとってあくどい政治もしている。一八八七(明治二十)年九月の臨時県読会で「大島郡経済分別に関する議案」を上程して、可決させているのだ。“経済分別”とは「鹿児島県の予算から奄美分を切り離して独立させる」ということだ。独立とは体のいい言葉だが、「自前でやって行け」という荷厄介の離島の〝奄美切捨て政策″だ。原井一郎さんは著作『苦い砂糖』 のなかで「すでに砂糖という金の卵を産まなくなった奄美を廃鶏にした方が得策という計算から、薩摩藩閥の政治要路に取り入って根回しした結果だというのだ」と憤慨している。(『奄美の債務奴隷ヤンチュ』

 象徴的にいえば、砂糖収奪の永続化とそれへの抵抗は、第一幕が知事の大山綱良と丸田南里のあいだでなされたとすれば、第二幕は、渡辺千秋と新納忠三、麓純別、そしてここに岡程良も加えるべきかもしれない、彼らの間で演じられた。そしてヤンチュ解放運動もそうだが、抵抗の戦列に新納忠三という鹿児島出身者が加わってくる。

 それにしても、「県令三九号」と「大島独立経済」は同一人物の政権下でなされているのに目を見張る。渡辺千秋は、砂糖収奪永続化の象徴的人物かもしれない。「県令三九号」と「大島独立経済」に共通するのは、<琉球ではない、大和でもない>という二重の疎外の視線だと思う。<琉球ではない、大和でもない>から、収奪の対象とすることも予算の対象外と見做すこともできるのだ。

 こう書いて思うのは、二重の疎外の規定は、砂糖の収奪の実行を容易にしたのではないかということだ。薩摩は、<琉球ではない、大和でもない>という規定による空虚を、薩摩の利益のための存在として埋めたのである。



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