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2008/08/16

『五十度の講演』の「南島論」

 糸井重里が発行した吉本隆明の『五十度の講演』を聞き始めている。

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 なにしろぼくはここに収められている「南島論」をまず聞きたかった。吉本隆明の南島論を知って、わが故郷が語るに値することを教えてもらったようなものだから、吉本の南島論の展開はいつも楽しみにしてきた。

 1970年に行われた「南島論」自身は、『敗北の構造』に講演録として収められているので読んでいる。けれど吉本の講演は、本人も言うとおり、繰り返しが多くお世辞にもうまいとは言えない。ぼくはだからなおさら、その繰り返しの多い肉声で「南島論」が聞いてみたかった。いまだにわかりにくいと思っていることもあるからだ。5時間近くある講演でまだ聞き終えてないが、早速気づくことがあった。

・「非常に暑い盛りで、なおさら熱い話になりそうなんですけど」というのが語りのはじめ。もちろんこれは、講演集には収録されていない。

・昇曙夢を「のぼりあけむ」と読んでいる。

・吉本は、「南島」という言葉あるいは定義を昇曙夢の『大奄美史』から採ったと話している。よく、「南島」という言葉は中央からの視線なので抵抗があるという意見を聞くことがある。ぼくは、言葉の響きが好きで抵抗は全くないので、使い続けているが、案外、昇曙夢の『大奄美史』に目を通し、そこの定義にしたがっているという吉本の姿勢に共感してきたのかもしれない。

・南島を描いた地図を指してだと思う。「こちらはまだ日本ではないそうで。こちらの人から見ると、こっからこっちはバラ色に見えるわけで」と、沖縄を紹介している。そこで会場にも笑いが起こっている。復帰という課題を抱えていない場所で呑気なことを言っていると聞こえるかもしれない。あるいは会場の笑いのなかにはそういう要素もあるかもしれない。けれどぼくは、南島あるいは沖縄を対等にみている、なめていない姿勢を見るように思った。沖縄の復帰について、「行くも地獄、帰るも地獄」と言い切った人の弁の延長で、ぼくはそう感じる。

・パプア・ニューギニアには石器時代さながらに暮らしている人がいるという話をうかうかと真に受けて聞いてしまうことがあるが、自分はそんな人を檻に入れて観察するような視点を、「人間的にも、思想的にも、また理論的にも」採ることはできないというところで、ぼくは人類館事件を思い出した。吉本も念頭にあったかもしれない。吉本は、そのパプア・ニューギニアだって、現在の文明が殺到すれば数十年を待たずに世界史的現在に到達するだろうことは全く疑いえない、と言い切っている。ここで、吉本は明治の日本もそれに近い経験だったというが、同じことは奄美にも言える。

・「指向変容」という造語を「インテンシブ・モディフィケーション」と言い換えるところがある。講演録では、ここは、「<インテンシブ・モディフィケーション>とでもいっておきます。」とやや衒った風なのだが、実際聞いてみると、「インテンシブ・モディフィケーション」と消え入るような声で言って後は聞こえない。吉本らしいと思った。

 まだこんなところだ。「南島論」の感想は聞き終えたら、また書きたい。




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