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2008/08/23

二つの西郷

 奄美の近代は、砂糖収奪の永続化とそれへの抵抗が顕在化する。面白いことに、あの西郷はその永続化にも抵抗にも一役買っている。

 奄美諸島の専売制を廃止し、商社をつくって商売を独占し、その利益で士族を救済する件を、伊集院兼寛から聞いたが、その方策はもっともなことだ。(中略)いろいろなところで売り広めると大蔵省からその利益を占められかねないから、よくよくその辺りは注意すべきだ。(明治四年十二月十一日。桂四郎宛て)

 これは砂糖収奪の永続化にかかわるものだ。悪名高い大島商社の設立に西郷が士族救済のために賛意を表したと言われている箇所である。大島商社の設立に当たっては、「こいで維新はなりもした」と西郷に言わしめたという。『奄美の債務奴隷ヤンチュ』では、「鹿児島の士族救済を最優先する西郷の『視野の狭さ』が露呈している手紙の内容だ」として批判されているところだ。

 ところが、西郷はこの2年後、沖永良部島で信頼関係を結んだ土持正照の嘆願に心を動かされる。

 沖永良部島の与人、土持正照が、嘆願のために訪れた。土持は流罪中、大いに世話になった者で至極の恩人の人物だ。話を聞いていると(中略)、もしやこれまでの交換値段で砂糖を上納しているとしたら実に無理な扱いである。鹿児島県では数百年代の恩義もあり、島人も安心すべき道理もあったから無理な交易もできたが、これからはとても無理が出来る話ではない。ただいまも過酷に苦しむ島人であれば、よほど難渋を免れたく思うのはあるべきことと察せられる。島は不時凶行が到来しやすいところだ。その時は飛脚船を仕立てて救うこともできたけれど、今日ではそれも頼みにできなくなった。砂糖現物で上納しても、米八合と砂糖一斤の割合で納めるとか、これまでの交換より少しは仕組みを変えないと、人気を損し先行き必ず不都合を生む、これまで通りでは不条理である。県庁の申し立てであってもそのことを問いたださないと済まないことである。あと後、大きな害になることもあるから、条理が立つように世話をしてくれるよう、私からもお願いしたい。土持正照もここまで来てはっきりしないまま帰ったのでは、島中の人々にも申し訳ないことだと配慮しているので、どうか聞き入れてもらうようお願い申しあげる。(明治六年六月十九日。松方正義宛て)

 二つの手紙ともぼくの私訳なので精度は上げなければいけない。我ながら腑に落ちないところもある。特に、「鹿児島県において数百年代の恩義もこれあり、島人共にも安心致すべき道理もこれあり」の意味がよくわからない。ここではそれは置くとして、土持の嘆願に対して、奄美への砂糖収奪は不条理なものだから、続けてはいけないと言っている。

◇◆◇

 この二つの手紙には、約1.5年の間隔はあるが、何か、舌の根も乾かぬうちに正反対のことを言っているようにも見える。そして、この二通について、どちらが本来の西郷であるかというように議論されている印象を受ける。もっといえば、どちらが本来の西郷かという議論は、これだけにとどまらず、大島遠島の初期に、島人に蔑視を加えた西郷と、その後、酷い扱いに憤る西郷や、維新をなした西郷と西南の役を起こした西郷、敬天愛人と征韓論の西郷のように、西郷隆盛という人物につきまとっている。これは西郷的問題なのだ。

 ぼくは、これはどちらが本来の西郷かということではなく、どちらも西郷であると思う。たとえば「敬天愛人」はそれをよく示した言葉ではないだろうか。

 農耕社会を基盤にした政治形態の特徴は、天皇と民衆がそうであったように、専制君主と民衆との距離が無限大化されることと民衆相互の相互扶助の理想的な関係が共存するところにある。君主の専制も無限大の距離によって無関係化される一方、身近な人間関係は理想的な側面を持つ。西郷の言う「敬天」は、政治権力のことではないだろうが、無限大の距離を介して「天」と政治権力とは接近する。また、「愛人」はそのまま相互扶助の世界に通じるだろう。

 そうとらえると、「敬天愛人」は農耕社会型の政治形態と人間関係を素直にトレースしたものだ。しかしそこには西郷の特徴があり、西郷はそれを、「天」からではなく「人」に視点を置いて言ったことだ。ここで、視線は天から民衆に下ろされるのではなく、民衆と同じく天を仰ぐ方に向けられている。だから、「敬天愛人」は農耕社会型の政治形態と人間関係を、民衆の側から素直になぞったものだ見なせる。そしてここに西郷の魅力や人気の根拠があると思える。

 だが、西郷が政治権力者として自分を擬すれば、逆「敬天」の視点を持つことは想像に難くない。そしてそれは矛盾ではない。一方は、政治家としての西郷であり、一方は人間あるいは私人としての西郷なのだ。そしてこのあり方を支えたのはあまねく広がる農耕社会だった。ぼくは、西南の役は、そのあり方がもはや生きてはいけない政治形態としての死の始まりであったと思う。

 そうみなせば、桂宛ての手紙の西郷は政治家であり、松方宛ての西郷は私人である。実際、土持の嘆願を受けた西郷の手紙には、焦りが感じられる。しまったと、内心、思ったのではないだろうか。

 あるいはこうも考えられる。農耕社会型を基盤にした政治家は、地元への利益誘導を根拠にしている。西郷は奄美にとどまる時間が短かったにせよ、「愛人」を知った地である奄美には「地元」としての愛着を抱いただろう。西郷には薩摩と奄美という二つの「地元」があったのだ。そう考えれば、最初の手紙は、薩摩士族という地元を考え、次の手紙は奄美という地元を考えたものだ。しかし、ニ者は、利益誘導という視点からは矛盾した存在である。結局、西郷は薩摩士族に殉じることで最後の利益誘導を図ったのだ。

 どちらにしても、相反する二つの相貌は、どちらかが西郷なのではなく、どちらも西郷隆盛と捉えるべきだと思える。



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