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2008/08/19

猿化騒動

 名護は「島民の抵抗」として、猿化騒動を挙げている。ただ、これは誰が何をしたのかはっきりしない、「猿化騒動」が起こったという記述があるだけなのだという。

猿化騒動はどうして、どんなように起こったのかは不明だが、ただ「大島代官記」には、一八三三(天保四)年の項に、

  此年何国ヨリ出デ来タル侯ヤ猿化騒動ト名付シ書見得タリ、按ズルこ百姓之窮(状)ヨリ出デ来タリト見ユ、後年見合二書記

 とのみあるだけだ。「俺たちは人間でない、猿だ」と踊りくるったのだろうかー。ところが、奄美にはサルはいない。猿がいないのに「猿化騒動」というのはおかしい。それはどういう「書」に書かれていたのだろうか。諸国を巡る山法師が伝えたのだろうか。疑問点はいくつも出てくる。

 南海日日新聞の専務だった故籾芳晴さんの著『碑のある風景』は、「ここでいう書について"書本"という人もいるが、簡単な回覧用の書きつけではなかったか」と、想像している。

 藩命による砂糖収奪は少しも変わらず、空腹のままの農作業、強制労働は続く。このようなとき、祖先たちは見たこともないまでも〝山野を自由にかけめぐるサル〟に自分たちを擬し、俺たちはサルだ″といい切ったのではないか。居住を制限されたまま、ただ額に汗することだけが生涯の総てだった人々が、収奪する側も、自分たちも含めて〝サルだ〟といい放ったとき、悲しいまでの開き直りを感じる。まさに、最下層の人々が野に棲むサルに解放の姿を見たとしても、何ら不思議でない。それほど厳しい日々の積み重ねがあったということは知られてよいことだろう。『奄美の債務奴隷ヤンチュ』

 この話は、シャリンバイで赤く染めた着物を着た老ヤンチュが、酒が進んだところで、クッカルと、アカショウビンの鳴き声を真似たというもうひとつの話を思い出させる。ただし、老ヤンチュはアカショウビンという身近な鳥に自分を擬したのだけれど、猿は奄美にいない。猿は物語や伝聞のなかでしか知られていない動物だった。人を離れ、自分を動物に擬するのは、現世超出の願望だが、見たこともない猿に擬したのは、何というか、動物というよりケンムンになりたかったのかもしれない。言ってみれば、妖怪化である。妖怪は、身近な異界の存在であり、人間に親しまれたり恐れられたりする。ケンムンと化して自分たちの存在を保ちたい。それが、猿化(さるばけ)の意味だったかもしれない。

 名護さんが、「猿化運動」を島人の抵抗として挙げる気持ち、分かるなあ。



 

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