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2008/08/06

喜界島の「象のオリ」

 2006年に運用が開始された喜界島の「象のオリ」は、そもそも1985年に計画が公表されたものだが、そこには21年間にわたる反対運動があった。

喜界島「象のオリ」運用へ 防衛庁の通信傍受施設

 通称、「象のオリ」とは何のことなのか。

 そもそもOTHはオーバー・ザ・ホライズンの略語で、電離層に反射する短波を使い、電離層を経て目標に当たり、再び電離層を経て返ってくる電波をとらえるシステムで、約三〇〇〇キロという広い地域を監視することができる最新鋭のレーダー施設である。防衛庁は中期防衛力整備計画の目玉の一つとして同レーダー基地の建設を挙げ、一九八六年夏から米軍と協力して候補地の検討を急いでいた。候補地の条件としては、①監視域②用地取得の可能性③造成工事の難易度③補給⑤電波障害-などについて評価を行った。候補地としては、硫黄島、喜界畠、沖縄・伊江畠をそれぞれ中心とした三つのグループが検討された。
 その中で、喜界島と馬毛島が有力候補地として予定された。しかも残念ながら候補地としての条件が十分に整っていたのである。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 「象のオリ」は軍事施設である。そこで、反対運動が起こるが、それには喜界島ならではの思いがあった。

喜界島は、奄美で一番最初に飛行場が出来るなど、第二次世界大戦のときは軍事基地化しており、大変な戦災を受けたのである。巨大円形アンテナ「象のオリ」は、核戦争を想定した米軍と自衛隊の最新鋭の軍事施設である。戦争になったら、喜界島は真っ先に攻撃される危険がある。

 喜界島は、大戦時に軍事基地化しており、そのため米軍の攻撃を受けている。そんな歴史が、「象のオリ」反対に切実さを加えているのだ。

 「象のオリ」反対運動に立った丸山邦明さんが、「どうしても奄美の社会運動の歴史を学ぶ必要を痛感させられた」として歴史を紐解いている。それは、「ヤンチュ解放運動」、「日本復帰運動」、「石油基地反対運動」、「使用済核燃料再処理工場反対運動」と並んでいるが、ぼくは奄美の歴史から指針を見出そうとする姿勢がとても大切なことに思えた。自らの歴史を失ってきた奄美であれば、この態度はとりわけ重要なものだと思える。

 それにしても、社会運動の系譜を追ってゆくと、いかにも辺境的課題が押し寄せているのがよく分かる。そして、軍事拠点としての役割として目をつけられる、古代から変わらない喜界島の宿命も。

 ぼくたちは、上空から「象のオリ」を監視しよう。喜界島を軍事拠点化する地図の視線を無意味化してくために。


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「軍事基地問題と奄美」丸山邦明
『奄美戦後史』27

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