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2008/08/15

世界はさざ波のように訪れる

 八月一五日戦争が終結、日本は負けた。しかし沖永良部の住民も兵士たちも終戦を知らされていなかった。「八月一七日、本日、名瀬支庁からきた人より変な噂が立ち始めた、それは敵と講和条約が成立したと言う話であった。我々には日本が負けたとは夢想もしない、さりとて敵が手を挙げたとも考えられない……」 (沖永良部守備隊未松則雄衛生兵の手記から)。兵士や住民が終戦を知ったのは一週間も過ぎた頃からであった。(「復帰運動史の中の南二島分離問題」川上忠志『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』)

 8月15日は敗戦の日だが、奄美では必ずしもそうではなかった。ここにある川上さんらの経験が奄美一般であるとは思わないが、いかにも奄美的な到来だと思う。敗戦も明治維新も大和朝廷の席巻も、リーフで一度くだけて、時間を置きおだやかなさざ波のように、世界の変化は告げられる。でも、その到来後の世界は過酷だった。敗戦も、そうだ。

 敗戦は天皇の途切れがちな声で断絶として訪れたわけではなく、ひょっとしたら噂としてやってきた。敗戦は断絶ではなかったが、しかしその後、日本復帰を課題になったため、敗戦の意味を受け取りにくくさせたと思える。




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