ヤチャ坊よ、永遠なれ
薩摩藩政下に、奄美人の原像を告げ知らせてくれたのはヤチャ坊だ。
ヤチャ坊は木の皮のフンドシを締め、昼間は海近くの洞窟の中や山中の木の枝に隠れていて、夜になると里に出てきて人家を荒らし回り、手のつけようがなかった。ある夜に海岸に繋いでいる舟を失敬して単身喜界島に渡り一晩で帰ってきたこともあったという。
ヤチャ坊は力が強く、動作も敏捷で超人的な「ターザン」のような男だったという。ごうごうと山の水音のとどろき以外に何も聞こえない。ここは彼の住むにふさわしい場所だ。
ヤチャ坊はあるとき、漁師三人が舟揚げに困っていると手伝ってくれたらしい。ヤチャ坊は舟を運びながら、舟の中の一番大きな魚に日をつけて、素早くかっぱらってこれを足で砂の中に埋め、漁師たちが帰った後何食わぬ顔でこの魚を取り出し山中に持ち帰った。それ以来、彼がかっさらった魚の名前が「ヤチャ」(カワハギの一種)だったため、彼は「ヤチヤ坊」と呼ばれるようになったらしい。
だが、ヤチャ坊は悪さばかりしているのではない。気が向けば病苦に喘ぐ村人に、こっそり盗品を配ったり、路傍で泣いている子に大きな握り飯を与えたりする義人的な優しい一面もあった。
目に余るヤチャ坊の農作物荒しに困り果てた農民たちが「ヤチャ坊狩り」をしたこともあったが、農民たちは彼の一夜に二十里 (八十キロ)も駆ける超人的で敏捷な行動になすすべがなかったという。しかし農民たちは本気で「ヤチャ坊狩り」をしたのだろうか。「可哀想なヤチャ坊」と、いまもシマウタで歌われているほど親しみを込めて語られる彼だから、きっと本気の追跡劇ではなかったのではと思われる。
「砂糖収奪」の激しい時代だからヤチャ坊のような現実逃避型の人物が現れても不思議ではない。素っ裸になってすべての拘束から逃れ、ヤチャ坊のように思うままに生きてみたいと思うのは誰でもあること。そうした庶民の夢を叶えたヤチャ坊に奄美島民が憧れたとしても当然だろう。奄美島民はいつまでも「ヤチャ坊節」を歌うことで、薩摩藩の砂糖収奪の厳しかった昔を、いまに反すうするのだろうか。(『奄美の債務奴隷ヤンチュ』)
ヤチャ坊伝は、実在の人としても伝説の人としての、似た人を知っているような身近な感じがする。たとえば与論には与論のヤチャ坊がいると思う。島全体が強いられる生き難さがあるからこそ、その束縛を離れた存在があってほしいという願望がヤチャ坊を生みだす。その願望があるから、ヤチャ坊狩りをしても追い詰めるまでにはいたらない。島唄にもなる。ヤチャ坊よ、永遠なれ、だ。
あるいは、ヤチャ坊に愛着を感じるのは、彼が大島でいえばケンムン、与論でいえばイシャトゥのような土地の精霊に似ているからかもしれない。悪さもするが憎めない。ヤチャ坊が醸し出している雰囲気はどこか妖怪だ。人間化した妖怪がヤチャ坊なのだ。
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