中沢新一さんと糸井重里さんが吉本隆明さんのことを話す
吉本さんの『芸術言語論-沈黙から芸術まで-』の続きのように思って、糸井重里さんと中沢新一さんの対談を聞きに行ってきた。なにしろ、テーマは「吉本隆明と東京」だったから。
「夏の文学教室」という冠のおかげか、前のコマが、詩人、吉増剛造さんの「水の都市-龍之介と鏡花 新作シネマ」というテーマだったせいか、『芸術言語論-沈黙から芸術まで-』のときに比べて会場は、おじいちゃんおばあちゃんも多く、吉本さんの本来の読者は今日のほうが多いような気がした。
吉増さんの話も興味深かったものの、疲れの出る週末で昼にランチビールを飲んだせいもあって、いやいちばんは吉増さんのおしゃべりが流暢で抑揚も心地よかったおかげ?で、仮眠になってしまった。奄美にも関心を持ってくれる吉増さんなのに、ごめんなさい、である。
中沢新一さんも『芸術言語論-沈黙から芸術まで-』は、あの場で聞いていたようで、その時の吉本さんの印象を交えた話から始まった。吉本さんは、冒頭、1945年の8月15日以降、自分は死ぬための準備はしてきたけれど、世界を認識する方法は全く分かっていなかった。そのことがつかめなければ生きている意味がないじゃないか、とそれくらい思って考えてきたことが今日、話したいことだと切り出したのだけれど、そのことを受けて、糸井さんは、自分が学生の頃や以前に、こんな風に吉本さんの背景を紹介する人がいてくれたら、もっとはやく吉本さんの本を読めていたのにと投げかけた。それに中沢さんは、自分も学生のときから読んでいたけれど、いまのようには読めていなかった。それだけノイズが多かったんだと思う。80年代になってようやくノイズが取り払われて、吉本さんの思想自体が見えるようになってきたと応えた。
お二人より年代がひとまわり後で、学生のときから夢中で読んできたので、ぼくにはこのノイズの払われ方をゆっくり観察してきた気がするのだけれど、そこには二つの契機があったと思う。80年代のそれは何といっても、作家よしもとばななのデビューだった。ぼくはそれまで、中沢さんの言うノイズのなかでしか受け止めてもらえないだろうと思い、吉本隆明を読んでいると人に言うことがなかったのだが、ばななが広く受け入れられたので、そのあとは、「ばななのお父さん」と紹介できるようになったのだ。実際、そんな風に世の中でも言われているのをみると、吉本さんがこれで孤独から解放されるならよかったですね、と思ってきた。
で、次は、でも何といっても、先日の『芸術言語論-沈黙から芸術まで-』を見てもわかるように、糸井さんのおかげだと思う。糸井重里が、敬愛するように紹介してきたこと。それが、吉本さんのノイズを取り払ってきた。ばなな効果が受動的なものだったとしたら、糸井効果はそれを念頭に置いているだけ、積極的なものだ。ぼくにしても、ばななのお父さんと言わなくても、吉本さんと人に言えるようになっているくらいだ。
二人の対談はゆるい感じ進み、またそれが心地よく、時間オーバーになっても、会場のみなさんの了解を得て、時間延長で話を続けてくれて楽しかった。糸井さんは、口紅を塗る女の子がいるとして、「口紅とはけしからない」と、今、ますますそう言いそうな風潮になっているけれど、そういうとき、「口紅、いいね」と言ってくれる長老がいるかいないかは大きな違いがある、として吉本さんのことを紹介する。
中沢さんは、東京は不思議なところで、京都では1200年を超えて考えることはできない、パリもヨーロッパの歴史を超えて考えることができる場所ではない。ところが東京は、縄文に遡って考えることができる数少ない不思議な都市だと言っていたが、ぼくは自分の感じ方と共通するようでうれしかった。ぼくは与論と東京はつながっていると思っているし、ときどきそう書いたりもするのだが、うまく伝わった気がすることがない。そこに補助線を引いてくれる気がしたのだ。
ゆるい話のおかげで話題は多岐にわたり楽しかった。ぼくが特に印象に残ったのは、中沢さんの手振りや口調がときおり、吉本さんに似ることだった。好きなんですね、きっと。
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